『天城越え』で、ふっきれたもの。どこまでも飛べるという新境地
石川 10代、20代はそれこそバーンと体当たりでぶつかっていくような攻めの歌で勝負してきましたけど、26歳で娘を産んで、半年後に復帰しました。そのとき、「これからは引く歌を」と言われて面くらいました。たとえば「あなた」というワンフレーズだけでも「あなたの距離はどこ」とか「もっと近くにいてよ」とか「明るい明日がみえるあなたにしてよ」とか細かく指導され、何を言われているのか、正直よくわからなかったことも。「望まれているのはこういうことかな」となんとなく掴みかけてきたと思い始めた矢先、いきなりポンと渡されたのが『天城越え』だったんです。移り香から男の不貞に気づいた女が、他の誰かにとられるなら、あなたを殺していいかと迫る。自分の引き出しの中に、こんな世界何もない。どうしようって、すごく戸惑いました。けれどその時も、やはり、あえて危険な道に挑むという性分が勝ってしまった。
―― 作詞家の吉岡治さんは「家庭も仕事もすべてうまくいっていた、しあわせな石川さゆりを壊しちゃえ」という思いと「歌い手としてまだまだ開くべき可能性の扉が残されているはず」との思いで、あの曲を託されたとか。ジャケット写真は着物の襟元が崩れ、妖艶なまなざしを送る姿です。それを見て、当時の旦那さんが声を荒げたというのは本当ですか。
石川 「何を考えて仕事をしてるの」と言われました。吉岡先生は歌い手が安定しちゃうのはよくないとの思いからあの曲を書いて下さったのですが、悩みました。なんの拍子で新しい扉が開いたのか、分かりませんが、自分のひきだしにない世界ならば、演じよう。そう思ったら、ふっきれたのは確かです。
右に振り切れたら、左へ。その揺れ幅が大きければ大きいほど、面白い。『天城越え』で、あれだけ破綻した世界を歌った次の楽曲が『夫婦善哉』でしたから(笑)。歌の世界は何でもあり。どこまでも飛ぶことができる。そう解釈したら、すごく楽しくなっていったんです。
―― たくさんの先輩達が「石川さゆり」を育て上げたことが伝わってきました。働く女性たちは残念ながら、ロールモデルがいないと嘆く人が少なくありません。
石川 すてきな大人の姿を見せてくれる先輩がたくさんいて、確かにしあわせな時代でした。でも、それ以上に、自分で何かを探しにいくことがやはり、大事じゃないでしょうか。人に言われて身につくものではないですから。人でなくても、興味のあるもの、今何を自分が面白がれるか。同じものを見ていても、結局は自分でみつけるか、そうでないかで全然違ってきますから。道なき道を歩いてきた先輩もたくさんいたかもしれない。嘆いてばかりでは時間がもったいないですよ。
続きの記事はこちら
⇒石川さゆり 「母と私と娘、女三世代で同居中」
取材・文/砂塚美穂 撮影/川上尚見
歌手