35年、お互いが成熟するプロセスを見てきた

―― 「私の固定概念を壊してくれてありがとう」と感じることが大切だということですね。

小手鞠さん 何か試練が起きたときに、それをトラブルと思うか、自分が成長できる糧だと思うかによって、全然意味は変わる。私はもともとどちらかというとネガティブ思考なので、以前は前者のタイプだったと思う。それをグレンちゃんは変えてくれたって感謝しています。

グレンさん だとしたら、すごくうれしいね。

小手鞠さん もう1つ、結婚の醍醐味は、1人の人間の成長過程をずっとそばで見続けられること。

 私たちが出会ったのは、彼が22歳で私が28歳の時。彼は今57歳だから、もう35年も1人の男性が成熟していくプロセスを見続けられた。それって素晴らしいことじゃないですか。昔はお互いに未熟だったから、派手なけんかをしては「こうやって別れる夫婦もいるんだろうな」と思いながら、「もうちょっと踏ん張ろうかな」とやってきて。1人で暮らすのが好きな人はもちろんずっと1人でもいいと思うけれど、私は寂しがり屋なので、一緒に成長できる伴侶を見つけられたことは幸せだったなと思います。

グレンさん 僕も彼女のおかげで孤独感はないけれど、ベッタリと依存し合う感じはない。双子みたいな感覚。

小手鞠さん 私にとって彼は、お兄さんであり弟であり、ライバルであり仕事仲間であり、でも最後に言いたいのは「恋人」だってこと。今でもハッキリ思い出すのは、初めて出会った時のこと。私が働いていた書店に、お客さんとしてやってきた彼の姿を見た瞬間、映画「十戒」のように海が割れてビシーッと1本の線で2人がつながったような感覚があった。まだ一言も話していないのに。あのとき、運命って本当にあるんだな、と思った。

グレンさん あの頃の僕たちは今と全然違ったよね。まだ貧乏で何者にもなれていなくて、質素というかちょっと放浪者的な退廃的な暮らしをしていた。

小手鞠さん 今はありがたいことに生活も安定して、「あの頃は貧乏だったよねー」って笑い合える。

―― 35年前に出会ったときの話を、今でもよくするんですか?

小手鞠さんグレンさん するよね。

35年前、出会ったころの新鮮な気持ち

小手鞠さん さっき、夜はあまり暗い話題をしないって言ったでしょう? その代わり、楽しい思い出話をよくするんです。「あの時、あんなふうに出会ったよね」「よく話しかけてくれたね」みたいに。

グレンさん 35年も一緒にいるけれど、いまだに新鮮な気持ちを持てるんです。極端な話、1年前に出会っていたとしても、僕は同じように恋に落ちると思います。

小手鞠さん それは言い過ぎ(笑)。グレンちゃん、ちょっとは引き算しなきゃ。でもね、私もそう思っています。

―― なぜ、新鮮な気持ちを持ち続けられるのでしょう?

小手鞠さん それはきっとお互いに成長し、それを応援し合えたからでしょうね。未熟な子どもだった時代から、生き方について意見をぶつけ合って、いい時も悪い時もお互いを励まし合いながら、成長を喜び合えてきた。それがよかったと思います。

グレンさん いまだに未成熟なところもあるけれど、長い時間をかけて成熟してきた。性格の深みのようなものを、お互いに分かち合ってきた。

小手鞠さん またいいことばっかり言い過ぎているよ(笑)。

グレンさん カッコつけているみたいだけれど、嘘ではないです。

小手鞠さん こんなふうに言えるようになったのも、ごく最近。もしも5年前にこのインタビューを受けていたとしたら、こんなふうには話せなかった気がします。

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小手鞠るいさん
作家
1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒業後、美術系出版社勤務、書店員など複数の仕事を経験し、執筆活動開始。グレン氏とインドを旅し、1992年に共にアメリカ・ニューヨーク州のウッドストックの森に生活拠点を移す。37歳で「海燕」新人文学賞を受賞。49歳のときに『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞受賞。53歳で『ルウとリンデン 旅とおるすばん』がボローニャ国際児童図書賞を受賞。近年では『アップルソング』など日米の史実に基づいた小説作品にも評価が高まる。
グレン・サリバンさん
翻訳家
1962年アメリカ・ハワイ生まれ。イエール大学で言語哲学を専攻する。1984年に来日し、英会話学校教師として勤務後、雑誌『日本語ジャーナル』の英文監修者、翻訳家として活躍。1992年に帰米し、コーネル大学大学院でアジア文学を履修する。現在は、不動産ビジネスを主業としてニューヨーク・マンハッタンなどのビル複数を運用する。

取材・文/宮本恵理子 写真/平瀬夏彦