十一時に店が閉まり、ほろ酔いで真緒と別れたあとタクシーに乗ろうか一瞬悩んだが、今後の資金確保を考えて六本木駅まで十分ちょっと歩くことにした。社会人になってから当たり前のようにタクシーを使っている。癖になると時間に余裕があっても乗ってしまう。それでたまの休みはジムでトレッドミルを使うのだから、無駄な金払って不健康と健康を繰り返してるな、といつも思っていた。独立を決めてからはなるべく歩き、なるべく電車に乗るようにしている。

 歩いていると、タクシーの車窓からでは見えない景色が見える。ガラス越しには聞こえない音がたくさん聞こえてくる。

 「……先輩? 志穂先輩!」

 六丁目の交差点でなんとなく空を見上げて信号が青に変わるのを待っていたら、横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。そちらを見遣ると、いつか私に憧れていると言ってくれた後輩が立っていて、思わず私の声は裏返った。

 「えっ、どうしてこんなところにいるの? シンガポールじゃなかったっけ!?」

 「さっきまでこっちの友達とご飯食べてたんです。明日戻ります。えー、先輩元気そう、良かった、会えて嬉しい」

 「私も嬉しいよ、元気?」

 駅まで歩く少しの時間、私たちは近況報告をし合った。私のうしろをついてきてくれると思っていたのにあっさり退社した彼女に対し、少なからずわだかまりはあった。しかし心底幸せそうに子供の写真を見せてくる彼女の笑顔に、そんな小さなわだかまりはどうでもよくなった。違う場所で違う幸せを得た彼女を責める権利は私にはない。

 「先輩、そのダウン素敵ですね」

 改札に入って別れ際、言われた。

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