着替えておいで、と言って夫は立ち上がりキッチンに向かう。丸っこいボストンテリアもソファから降りて爪をチャカチャカいわせながら彼の後ろをついてゆく。夫の作る料理はどれも美味しい。配偶者の作る料理を美味しいと感じられる生活はとても幸せで、モエ(犬)も毎日毎秒可愛くて、幸せは思いやりと努力で作り上げていくものだと改めて実感する。

 

 夫婦とは不思議なものだ。なんの縁もなかった、異なるホモサピエンスが恋愛感情やお互いの「家庭の事情」によって夫婦となり、その多くが子孫を残す。子どもを産むと「家庭」の中に「夫婦」「子」が生まれるが、家庭=夫婦の例もある。それが私たちだ。今は犬もいるけど。

 出会いは映画のようだった。というよりもリアルに映画館だった。まだシネコンが今ほど普及していない頃、神保町の単館映画館にマイナーなスウェーデンの映画を観に行った。否、スウェーデンでは大ヒットしたが、日本ではそれほど話題にならなかっただけだ。同時期にハリポタや、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが結婚するきっかけとなった話題作などが上映されていたから、霞んでも仕方ない。

 画面に広がるノールランドの原始的な風景と登場人物たちの穢(けが)れのない歌声は清流となり、失った恋愛に対するいら立ちや怒りや悲しみに侵され、腐りかけてぐちゃぐちゃだった私の心を洗い流した。

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