富山市在住の寺窪佳子さん(55歳)は日本で唯一、米国発祥のエクササイズ・ピロキシング(PILOXING)を教える資格を持つフィットネスインストラクター。担当するレッスンはいつも満員、新規受講は最長3カ月待ちと大人気の寺窪さんが、8年の専業主婦期間を経て、インストラクターを目指し再就職したのは31歳のとき。第4子を出産した半年後のことだった。PILOXINGの資格は50代で米国本部と交渉して取得、2021年には自分のスタジオをオープンと寺窪さんが常に前進してキャリアを切り開く背景には、周囲の人に「体も心も元気になってほしい」という切なる願いがあった。

(上)人生これで終われない 4児の「完璧な母」卒業し再就職 ←今回はココ
(下)翻訳機手に交渉 53歳で日本人唯一のフィットネス講師

 トレードマークは弾けるような笑顔。力強くユニークなレッスンと、普段の穏やかで控えめな印象とのギャップも魅力の寺窪さんは、「フィットネスと出合い、モノクロだった人生が色鮮やかに変わりました」と語る。

 5人きょうだいの長女として育った。戦後ソ連(現ロシア)の樺太から命からがら引き揚げ、その後も大病を患うなど過酷な道のりを歩んできた厳格な父と、優しい母の下、4人の弟たちを思いやり、「家族が楽しければ私も楽しい」と自分の気持ちはいつも二の次。のちに“得意分野”だったと知る運動にもそれほど興味がなかった。

 「小1の運動会のとき、母は幼い弟たちの世話で見に来られず、同級生が家族でお弁当を囲んで食事をする横で私は1人で食べたという記憶があります。当時は寂しくて、徒競走を頑張ろうとの気力も湧きませんでした」

日本でただひとり、米国発祥のエクササイズ・PILOXINGの指導ライセンスを持つ寺窪佳子さん(55歳)。「高校も職場も親のいうまま。さほど楽しいと思えなかった人生が、フィットネスに出合い、バラ色に変わりました」
日本でただひとり、米国発祥のエクササイズ・PILOXINGの指導ライセンスを持つ寺窪佳子さん(55歳)。「高校も職場も親のいうまま。さほど楽しいと思えなかった人生が、フィットネスに出合い、バラ色に変わりました」

 高校2年のとき、父親が会社を辞めて非正規の仕事に就いたことで、一家の暮らしぶりは厳しくなる。尊敬する父が早朝から深夜まで働くのを見て、寺窪さんは大学進学を諦めた。卒業後は建築会社に就職。収入の大半は親に渡し、家計を支えた。

 そんな日常を一変させたのが、地元・富山市にできた県内初のスポーツジム。カラフルなウエアでエアロビクスに興じる人々を見て、くぎ付けになった。月1万円弱の会費は家計への負担が大きいが、どうしても通いたい。自分が夢中になれるものを初めて見つけた寺窪さんは正座して親に頼み、許しを得た。「音楽に合わせて体を動かす。世の中にはこんなにもキラキラした世界があるのかと長年抑えてきた気持ちが解き放たれたようでした」

 レッスンに熱心に通い上達していく寺窪さんに、インストラクターは「教える側になればいいのに」と声をかけた。好きな仕事で食べていけたらどんなに幸せだろうと思いつつ、インストラクターを今から目指すと家事や家計に影響が出る。「教えるためには専門知識がいるし、すでに就職している私が今から始めるのでは遅すぎる。『ジムに通えるだけで十分』と自分を納得させました」