変化のスピードが早くなり先が見通せない今、組織に多様性が求められるのと同じように、個人にも新しい価値観の獲得や学びによる成長が求められています。そのための「出合い」の場を持っていますか? 日々の仕事や自分の成長に「停滞感」を覚えているミドル世代にこそ必要な「越境」の始め方とその効用を探る、大特集です。

専門性の高い分野なら女性でも食べていける

 弁護士でありながら医学部を受験するという大胆な「越境」をした富永愛さん(48歳)。日本でも数少ない医療過誤に特化した事務所を立ち上げ、現在も医師として仕事をしながら、患者側の弁護を専門にしている。

 肩書だけを見るとスーパーエリートのように見えるが、実際は逆境を乗り越えるため、周りに反対されながら切り開いたキャリアだった。富永さんが医学部を目指したのも意外な理由だ。

 「当時、2歳の子どもを抱え、地元関西を離れて東京で新米弁護士として働いていましたが、仕事と子育ての両立に限界を感じ、体調も崩し気味でした。いろいろな意味でリセットしたかった。休みをいただく意味でも大学に行って勉強しようと思ったんです」

 ちょうど、さまざまなキャリアの社会人を受け入れるため、医学部が学士編入学の枠を拡大し始めた時期だった。「資格を持っていても男性とは違う扱いを受ける現実を知っていたので、専門性の高い分野であれば女性でも食べていけると思った。どうせなら医学部を目指そうと思ったんです」。

 ディスカッションや小論文などで受験できる群馬大医学部に的を絞り、娘を保育園に入れるために合格前から家族で前橋に引っ越した。「疲れ果てて、東京から逃げ出したという感じでしたね。受験は3回までチャレンジして無理なら諦めようと思っていた。でも、1つ上の学年で、2人の子どもを育てながら学んでいる厚生労働省のキャリア女性の話を聞いて、ここならやっていけるかもしれないとも思った」

富永愛
富永愛
とみなが あい/弁護士法人富永愛法律事務所 代表弁護士、医師、日本乳癌学会 乳腺認定医 1996年、同志社大学工学部化学工学科卒、99年司法試験合格。2008年、群馬大学医学部医学科卒業後、一般病院で外科医として勤務。11年、京都にて富永愛法律事務所を開設、16年法人化

 受験は1度目で無事合格。学士編入学で入った15人の中でも富永さんは最年長だったが、ほかのメンバーもそれぞれ熱い思いを抱いて医学部の門を叩いた“暑苦しい集団”だったという。「後に、入試担当の先生から『こういう人がいてもいいと思った』と言われました。お勉強ができたというより、経歴やキャラクターを買われたのかもしれません。私は『変人枠』だったと思います。切磋琢磨した同期とは今も連絡を取り合っています」