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「越境」がキャリアを強くする

「今なら社長を手放せる」 直感で退任し天草にUターン

ディセンシア社長を辞め、次の仕事を決めずに地元へ。肩書のない自分がこれからどれだけ豊かな縁を築けるか、幸せになれるか


変化のスピードが早くなり先が見通せない今、組織に多様性が求められるのと同じように、個人にも新しい価値観の獲得や学びによる成長が求められています。そのための「出合い」の場を持っていますか? 日々の仕事や自分の成長に「停滞感」を覚えているミドル世代にこそ必要な「越境」の始め方とその効用を探る、大特集です。

「越境」がキャリアを強くする

 敏感肌に特化した化粧品ブランドとして急成長中のディセンシア(DECENCIA、ポーラ・オルビスホールディングスグループ)を率いる社長として、山下慶子さんがARIAに登場したのは2020年3月のこと。派遣社員から社長に上り詰めた異色のキャリアにも注目が集まった。あれから約1年10カ月。山下さんが拠点にしていたのは、海が眼前に広がり、自然光が降り注ぐ熊本県・上天草市内のカフェだった。

 地元へのUターンを思い立ったのは社長就任3年目。新型コロナウイルス禍にあっても業績は好調、かつ組織もうまく自走し始め、「今なら手放せる」と思っての決断だ。次の仕事が決まっていたわけではない。事実、もらった名刺の表には社名や肩書がなく、裏には上天草市の地図が描かれているだけ。「何者にもなりたくない」と話す山下さんを、天草への越境に誘ったものとは?

山下慶子(やました・よしこ)
山下慶子(やました・よしこ)
1976年生まれ。鹿児島女子大学文学部を卒業後、北京清華大学へ留学。2000年、旅行会社入社。05年に退職後、アーティストとして絵を描くかたわら、派遣社員として実務経験を重ねる。07年にポーラ・オルビスホールディングスに派遣。同年、ディセンシアに出向し、正社員となる。17年に取締役、18年に代表取締役社長に就任。20年12月に退社し、上天草市に移住。現在はフリーランスとして地元企業などを支援している

コロナ禍の散歩中にひらめいた「天草でよくない?」

編集部(以下、略) ディセンシア社長時代のインタビューで、「ついリセット願望が働いてしまう」と話していましたが、まさか社長を退任して故郷の上天草市に移住するとは。大胆な越境に驚きました。

山下慶子さん(以下、山下) その頃の私の写真、顔が疲れていませんでしたか。(笑)

 コロナ禍の2020年に社長3年目を迎えました。緊急事態宣言の発令中は、よく近所を歩くようにしていたのですが、ある日、散歩中にひらめいたんです。「あれ? 天草でよくない?」と。それ以降、東京にいるという選択肢が自分の中で正解と思えなくなりました。ディセンシアは「美の答えは一つではない。いろいろな生き方があっていい」と打ち出しているブランドです。その多様性の一端に私も属しているわけで、「私自身はこれからどう生きたいんだろう」と散歩中に心が一気に切り替わったんです。

 私は直感を大事にしています。ロジック、データ、経験則はすべて過去に基づいたものですよね。それにとらわれ過ぎると、直感を押しつぶしてしまう気がして。「天草だ」とひらめいたときは、コロナ禍で感覚が研ぎ澄まされていたんでしょうね。頭で考えれば、このまま社長として安定したキャリアを積んだほうが安全。実際に恵まれた環境とチャンスを与えてもらっていました。大きな不満はなかったんですが、自分がこの先をどう生きたいか、何を大事にしたいかに照らし合わせて考えたら、これまでの生き方とは感覚的にちょっと違う。

 人生の当事者として考えたときに「もっと自由でいいんじゃない?」って。今、目に映っている景色を変えていくことのほうが、私が望む多様な人生の一端だと思ったんです。それに、社会がコロナ前に戻ることは絶対にない。今このときにピボット(軌道修正)できた人のほうがこの先は生きやすくなる。そんな確信がありました。

―― 「恵まれた環境」と思いながら、直感的なものに従って行動までできたのがすごいですね。夢想することはあっても、実際は二の足を踏む人が多いような気がします。

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