如月 母が自分から言ってくれました。何か予感があったのか、「通帳とか私の大事なものは全部この柄のバッグの中に入っているから覚えておいて」と見せてくれたんです。そのバッグをスマホで写真に撮っておきました。そのとき父も母に促されて、「僕のものは、僕の部屋にある金庫に全部入っているから」と教えてくれました。実際に金庫の中までは見せてくれませんでしたが、父はすごくまめな人だったので、亡くなったあとに見たら、すべて分かるようきちんと整理されていました。

 父の部屋は2階の一番奥まったところなのですが、そこは自分だけの「お城」だったので、母や私を含めて人を一切入れませんでした。父はもともと人嫌いというわけではなく、定年後に社交ダンスを始めたり、地域のパソコン教室に通ったりして仲間と楽しく過ごしていた時期もありました。ただ、ここ10年くらいは人との交流はほとんどなかったと思います。

人との交流を避けた晩年の父 家に支援が入るのも拒否

 1つ印象的なエピソードがあって、あるとき、長い付き合いの友人がふらっと父を訪ねてきたことがあったらしいんです。でも、父は玄関にも出てこず追い返したと母に聞きました。たぶん、老いて痩せ衰えた自分の姿を見せたくなかったんだろうと思います。娘の私から見ても若い頃の父はダンディーでしたから。

 そんな父は、母が認知症で明らかに様子がおかしくなっていることも認めようとしなかった。母の入院にもずっと反対していて、「ママはいつ帰ってくるの?」としょっちゅうメールが来ていました。

―― お父様と話すとお母様のことでいつも言い争いになってしまうので、あまり連絡を取らなくなっていたそうですね。

如月 はい。母のことだけでなく、家でひとりになってしまう父のことも心配だから、ヘルパーさんに来てもらおうよと言ったんです。地域包括支援センターの方に連絡して実家を訪問してもらったのですが、父はいくら私が説明しても介護保険の意味が理解できない。「変な2人組が家に来てあれこれ聞かれた」と、ものすごく拒絶反応を示されました。とにかく他人を一歩たりとも家に入れたくないの一点張りでした。

―― そして今年の初め、お父様は自宅でひとりで亡くなっていた……。それからの日々がどれほど大変であったかは想像するに余りありますが、特につらかったことは何でしょうか。