40、50代のARIA世代で学び直す人がますます増えています。強みを強化したい、違う視座を得たい、キャリアの幅を広げたい……学ぶ理由はさまざまあれど、大学院修了者が口をそろえるのは、「一生の同志を得ることができた」というメリット。女優から、企業の役員、学校法人のトップ、フリーアナウンサー、元横綱、そして「73歳で大学院修了」という人生100年時代を体現する女性まで。十人十色の大学院生活と、学びから得たものについて聞きました。

 大学には64歳、大学院には68歳で入学。修士論文は夫を介護し、夫が働けなくなった分をカバーしながら執筆した。3カ月間の休学を挟んで夫を見送った後に大学院を修了。家業のガソリンスタンドと思わぬ多額の借金を引き継ぎ、73歳の今も経営に携わる大西昌子さんは「まさか70歳を過ぎてから、こんなに大きな荷物を背負うことになるとは思っていませんでした。ハチャメチャな人生です」と笑う。大学院を修了後も学び続け、歩みを止めない大西さんの原動力とは?

大学に入学するまではほとんどパソコンを使っていなかったという大西昌子さん。20代で結婚退社後は、家業を手伝いながらスリランカの支援に奔走していた
大学に入学するまではほとんどパソコンを使っていなかったという大西昌子さん。20代で結婚退社後は、家業を手伝いながらスリランカの支援に奔走していた

その支援は役に立っている? 善意の怖さを知った

編集部(以下、略) 64歳で地元の4年制大学に入学しています。どんなことを学びたかったのでしょうか。

大西昌子さん(以下、大西) 国際支援についてイチから学びたくて大学に入りました。

 20代で結婚し、3人の子どもを出産。その頃からスリランカを支援する団体のお手伝いを始めました。何度もスリランカに足を運びましたが、あるとき善意の怖さに気づきました。貧困に対する理解が不足し、本当に必要なものが見えていなかったため、善意で行っていることが支援になっていない現状を知ったのです。

 例えば、支援物資を持ってスリランカに行ったとき。貧困地域の住民にノートやペンを手渡ししたことがあるのですが、後日、街の雑貨店で売られているのを目の当たりにしました。彼らは文房具をお金、そして食料に換えていたのです。もちろん、教育は必要です。ですが、日々食べるだけで精いっぱいの人たちに、教育の道具である文房具を渡すことが正解だったのか。物資やお金を渡すだけでは継続性がないのではないか――国際支援の仕組みを根本から学ばなければダメだと痛感しました。

 現地の人に日本語を教えてほしいと頼まれることもあったため、国際支援について学べる上に日本語教師の資格も取れる鈴鹿国際大学(現・鈴鹿大学)のシニアコースへ2013年に入学しました。仕事は、家業の油米(あぶよね)が経営する2つのガソリンスタンドの経理でしたが、毎日作業が発生するわけではありません。通学と両立していました。

―― 64歳でいきなり大学に入学するなんて、家族は驚いたのではないですか。

大西 3人の子どもは既に巣立っていましたし、夫は「そうでっか」という反応。反対されることは全くなかったです。大学に通い始めてからは、勉強時間をつくるためにずいぶん家事の手を抜くのがうまくなりました。今では、手抜き料理が特技なほどです(笑)。大学や家での空き時間は、本を読むかリポートを書く時間にあてました。電車通学の時間は、貴重な睡眠時間でしたね。

―― 大学の同級生は、孫と同じくらいの世代ですよね?

大西 そうです。キャンパスを歩いていると、老人がいると思ったのか、優しくしてくれる学生がたくさんいました。大学時代は特にネパール、モンゴル、インドネシア、スリランカなどから来た留学生と仲良くしていました。日本語で尊敬語、謙譲語も話せるような優秀な学生たちです。一緒に勉強することも多く、刺激がもらえるいい環境。教育実習にも約2週間通い、日本語教師の資格も取得できました。

―― 大学院ではどんな研究をしたのですか?