仕事で感じたモヤモヤ、予期せぬ逆境、好きで続けてきたこと…さまざまな出来事がきっかけとなって、それまでとは違う仕事の世界に飛び込んだ人たちがいます。思ってもみなかった方向に一歩を踏み出すことに不安はなかった? 新しい世界は自分にどんな変化をもたらした? 多種多様なキャリアチェンジを経験した人たちの話から、次のステージを見つけるヒントを探っていきます。

 新卒で入社以来ずっとキリンビールグループに勤務し、50代後半を迎えた森美江さん。会社ではマーケティング本部に在籍しながら、副業でキャリアコンサルタント講座の運営サポート、筑波大学での大学生の就業支援などのプロボノ、企業内大学キリンアカデミア事務局メンバー、ライフシフト・ジャパンのライフシフト・パートナーなど、何足もの“わらじ”を履いている。次のステージは「企業名ではなく自分の看板で仕事をしたい」と目標を掲げる森さんに、新しい一歩の踏み出し方を聞いた。

森美江
森美江
もり・よしえ/1966年生まれ、筑波大学卒。89年、キリンビール入社。大阪支社勤務後、食品事業部。95年、キリンアンドコミュニケーションズ出向。医療事業本部、人事総務部、お客さま相談室などを経て2021年からマーケティング本部勤務。国家資格キャリアコンサルタントの取得、昭和女子大学社会人メンター、ライフシフト・ジャパンのパートナー登録など社外活動を広げている

40歳で自分のキャリアに軸がないことに気付いた

 「40歳のとき参加した社内のキャリア研修で、自分にはキャリアアンカーがないとショックを受けました」という森さん。キャリアアンカーとは、人がキャリアを形成する上で絶対に譲れない価値観となるもの。米国の組織心理学者が提唱した分類法だが、設問に答えて分析しても、自分の軸は曖昧だった。

 1989年に入社した森さんはいわゆるバブル世代。同期の総合職社員約150人のうち女性は20人弱だった。定年まで働きたいとは思っていたが、特に専門分野があるわけではなく、配属された部署で自分なりに仕事をこなしてきた。36歳で産休・育休を取った後は、“戦力外通告”を受けた気分になった。未就学児を抱えて制約もあり、仕事にも自信が持てなくなっていた。

 「今まで会社に言われるままに仕事をしてきたけど、このまま流されていてはとても定年まで働けない。もう少し自分の得意なことを見つけて主体的に働かなくては、いずれ会社も自分も困るときが来るのでは……」と考えるようになった。当時、担当していた医療事業本部での業務は、特に好きな仕事でもなかった。

 「自分は何が好きだったか」「何にワクワクしたか」。自分に向き合って問いかけてみた。「もともと教員を目指して大学に入ったこともあって、“人に関わる仕事が好きだ”というのが、そのとき出した結論です。当時はキャリアコンサルタントの存在も知りませんでしたが、自分なりにキャリアの棚卸しをしたんです」

doorsでも同じテーマの特集企画
次のステージの見つけ方
を公開中です。ぜひお読みください!