ウクライナ情勢や急速な円安を背景に物価が上昇する中、2022年度の公的年金支給額は昨年度に続き引き下げられました。少子高齢化が進む現在、給付水準はさらに下がっていくでしょう。老後の経済的な不安と向き合うには、60歳以降も働く未来を真剣に考えたほうが良さそうです。すでにそんな生き方をしている人、視野に入れている人たちを取材しました。

 18歳のときに母親が突然倒れて寝たきりになり、短大卒業後は広告営業をしながら、仕事と介護の両立をしてきた中村実紀さん(44歳)。介護生活の中で感じた「罪悪感」と「東日本大震災」がきっかけで会社を退職し、35歳のときに地元・群馬で手作り生パスタの製造販売を開始した彼女に、起業の理由や商売を軌道に乗せるまでの紆余曲折(うよきょくせつ)、やりがいを持ちながら長く働き続ける秘訣などを聞きました。

中村実紀
中村実紀
なかむら・みき/1977年生まれ、群馬県出身。18歳のときに母親が突然倒れ、短大卒業後は介護をしながら広告営業の仕事に従事。2011年に会社を退職。2013年に、小麦粉が本来持っている味と香りを大切にしながら、うま味調味料、保存料などの食品添加物や砂糖を使わない生パスタの製造販売を行う店「コナリエ」を開業。新前橋駅(前橋市)の近くにある製麺所で週2日ほど直売を行いながら、ネットショップも運営して全国に手作りの生パスタとパスタソースを届けている

18歳から母の介護、仕事と両立するため営業職に

編集部(以下、略) 18歳から母親の介護をされてきたそうですが、営業職に就いたのは仕事と介護を両立させるためですか?

中村実紀さん(以下、中村) はい。営業職は比較的、時間の調整がしやすい仕事だったからです。平日の日中に母を自宅から病院まで連れて行く必要があったので、時間の融通が利きやすい仕事であることと、介護の事情を理解してくれる会社という条件で仕事を選び、広告営業の職に就きました。

―― 介護は、他の家族と協力して行っていたのですか?

中村 小学生のときに父が他界しているので、最初は祖母と2人で。20代半ばで祖母が亡くなってからは、日中はデイサービス(通所介護)を利用しながら1人で介護をしていました。ただ、孤軍奮闘していたわけではなく、デイサービスの人たちは家族のように親身になってくれましたし、近所の人や友人にも支えられながら、仕事と介護を両立していましたね。

―― 会社を辞めて起業したきっかけは、介護をする中で感じた「罪悪感」だったそうですが、一体何があったのでしょうか?

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