ウクライナ情勢や急速な円安を背景に物価が上昇する中、2022年度の公的年金支給額は昨年度に続き引き下げられました。少子高齢化が進む現在、給付水準はさらに下がっていくでしょう。老後の経済的な不安と向き合うには、60歳以降も働く未来を真剣に考えたほうが良さそうです。すでにそんな生き方をしている人、視野に入れている人たちを取材しました。

 アナウンサーとして30年間勤めたNHKを退職し、52歳で「障害福祉」の分野に活躍の場を移した内多勝康さん(59歳)。現在は、人工呼吸器による呼吸管理やたんの吸引などの医療的ケアが必要な子ども(=医療的ケア児)と、その家族を支えるための医療型短期入所施設「もみじの家」で、事業計画の立案や広報などを行うハウスマネージャーを務めています。

 「定年までアナウンサー人生を全うするつもりだった」と語る内多さんにとって、50歳を過ぎて転職したことは想定外の出来事。なぜ、内多さんは転職を選んだのでしょうか? NHK時代、「仕事」と「生きがい」のバランスが崩れたときに取った行動とは? 定年前に長年勤めた組織を離れてみて分かったことや、内多さんの「働く原動力」についても聞きました。

内多勝康
内多勝康
うちだ・かつやす/1963年、東京都生まれ。NHKに入局後、アナウンサーとして生活情報番組「生活ほっとモーニング」や、報道番組「首都圏ニュース845」「クローズアップ現代」などを歴任。2016年3月にNHKを退職。同年4月から、国立成育医療研究センターが開設した医療的ケアが必要な子どもとその家族のための医療型短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーに就任

47歳で「社会福祉士」の勉強をスタート

編集部(以下、略) アナウンサー時代、障害福祉の分野に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

内多勝康さん(以下、内多) 初任地の高松で、「車いすの移動をサポートする『福祉タクシー』が存続の危機にある」というネタをつかみ、企画から取材、リポート制作までを担当したことが最初のきっかけですね。

 その後もアナウンサー業務と並行しながら企画を練り、障害福祉関連の番組をいくつか制作し、36歳のときに公務員として働く自閉症の青年のドキュメンタリーを放送。その番組が好評だったことで福祉関係の人脈がどんどん広がっていき、「障害福祉」を自分の専門分野にする意思が固まりました。

―― 47歳のときには「社会福祉士」の資格を取得するために通信制の専門学校に入学し、2年間のカリキュラムを修了されたそうですね。この頃から、「いずれは福祉の仕事に就こう」と思っていたのでしょうか?

内多 「定年後に『福祉のおじさん』としてどこかに雇ってもらえるといいな」くらいの感覚ですね。「元NHKアナウンサー」という肩書だけでは定年後に通用しないと思ったので、再就職を有利にするための武器の一つとして資格を取ろうと思いました。それにこの頃は、あることがきっかけで初めて仕事のやる気を失い、ふてくされていたんですよ(笑)。

―― なぜ、ふてくされていたのでしょうか(笑)?

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