20年来、自宅で介護をしてきた認知症の母親が一時的に施設に入り、ほっとする間もなく自身の乳がんが見つかった作家の篠田節子さん。治療と仕事、介護に向き合う様子は『介護のうしろから「がん」が来た!』(集英社)に詳しい。がんの「当事者」となって分かったこと、多くを抱えがちな年代の女性に伝えたいことを聞いた。
―― 長い間ご自宅で介護をされていたお母様が介護老人保健施設に入所、ふっと手が空いたときに乳がんが分かったとのこと。ご自身ががんの当事者になって、これは想定とは違っていた、ということはありましたか。
篠田節子さん(以下、敬称略) 実は十数年前に、乳がんを経験した主人公の中編小説を書いているんです。主人公の心には常にどこかに「死の概念」がつきまとって、生活不安も抱える中で恋に落ち、人生観が変わっていく――。ところが実際に自分がそうなってみたら、全く違いましたね。
最初に「がんかもしれない」というところから、だんだん疑いが濃厚になっていって、組織検査をして確定となるわけですが、そこから治療計画が始まり、いくつもの選択肢が提示され、情報を集めて判断していかなければならない。感傷的になったり、人生について考えたりする暇はあまりなかったんです。スケジュールが決まって、どんどん出てくるタスクをこなして。仕事よりも仕事のような状況は想定していませんでした。
もう1つは、周囲に乳がんになった人がたくさんいるんです。彼女たちの中には亡くなったり転移したりしたケースはありません。温存手術をして普通に働いています、温泉にも行っていますという親しい人たちがいるおかげで、乳がんは特別な病気というよりは日常にある病気の1つという感覚になっていました。これも以前考えていたのとは違っていましたね。
治療については、最初は選択肢の中から選んでいくと思っていても、結果的に選べないこともあります。私の場合、当初は全摘手術か温存手術かの選択肢がありましたが、検査の結果、微細ながんが乳腺に散らばっていたので温存手術はできませんでした。
病院ってなぜこんなに検査をするんだろうと思われる方もいるでしょうが、手術までにとにかく検査を重ねて焦点を絞っていくんですね。それでも事前に分からなくて、手術で開けてみたらがんが広がっていたというケースも聞きます。そういう想定外もあるかもしれないと思っていたほうがいいですね。