仕事をしていれば人間関係でうまくいかないことはたくさんある。とはいえ、若手社員でもなければ、立場もある。思いのままに愚痴を言ったり、ぶつかったりするだけで解決できないことも山ほど…。そりが合わない上司や同年代からの嫉妬、セクハラ・パワハラ…。読者の声をもとに、専門家取材や先輩経験談を通して、ARIA世代だからこそのスマートなかわし方を探ります。

 長寿番組でおなじみの「徹子の部屋」のプロデューサーを17年務めている田原敦子さん(56歳)。初めて「徹子の部屋」を担当したのは39歳の時。番組歴代2人目の女性プロデューサーで、30代女性での就任は初、異例の抜てきだった。現場は50~60代のベテランばかり、「上」からも「下」からも反対意見が多く出る中、田原さんは思い切った方針転換を実施し、当時低迷していた視聴率のV字回復を成し遂げた。

1963年、評論家・田原総一朗氏の長女として生まれる。1986年、テレビ朝日入社。『スーパーモーニング』『昼ワイド』などのディレクターとして活躍後、黒柳徹子さんとユニセフの特別番組で難民キャンプ各地を報道。1995年、ドキュメント番組『親の目子の目』で民間教育協力協会会長賞受賞。2000年からプロデューサーに。『世界の車窓から』などを経て、39歳で『徹子の部屋』を担当。プライベートでは25歳で結婚、41歳で双子男児を出産。執筆や講演活動も行う。
1963年、評論家・田原総一朗氏の長女として生まれる。1986年、テレビ朝日入社。『スーパーモーニング』『昼ワイド』などのディレクターとして活躍後、黒柳徹子さんとユニセフの特別番組で難民キャンプ各地を報道。1995年、ドキュメント番組『親の目子の目』で民間教育協力協会会長賞受賞。2000年からプロデューサーに。『世界の車窓から』などを経て、39歳で『徹子の部屋』を担当。プライベートでは25歳で結婚、41歳で双子男児を出産。執筆や講演活動も行う。

 田原さんは、テレビ朝日に新卒で入社し、2019年の今年で勤続33年。今でこそ女性スタッフが大半の制作現場だが、入社当時の同期女性はたった2人。「女のくせに」「女だから」と言われることも少なくなかったという。「少し目立つと出るくいとして打たれたり、上司への報・連・相が足りず、叱責を浴びる日々を過ごしたり。大きな失敗と痛い経験を経て、学んだことはたくさんある」と振り返る。

 田原さんが、嫉妬や裏切りなどの人間関係の荒波を越えて身に付けたのは、同じ組織に長くいたからこそのしなやかな処世術。組織で働く人なら誰もが共感し、参考になるエピソードだ。

数々の修羅場をくぐり抜けて「会社という組織の中で生き抜くモットー」を見つけた田原さん。田原さんが経験した超リアルな組織ドラマは、次ページから
数々の修羅場をくぐり抜けて「会社という組織の中で生き抜くモットー」を見つけた田原さん。田原さんが経験した超リアルな組織ドラマは、次ページから
二人からの言葉が、今の田原さんを支えている。具体的な解説は5ページ目に
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