かつてはお金持ちの特権だった別荘ライフや海外移住、海外留学。バブル崩壊と経済停滞の30年を経て、庶民クラスにも手の届く2拠点生活や、海外移住・留学の穴場カントリーが、注目されています。「いやいや、私は都心を離れたくないので短時間勤務で働きたい」など、ARIA世代が描くわがままな「未来妄想図」を実現するにはいくら必要なのか、取材しました。

 ライターの野本響子さんは、子どもが小学校になじめなかったのをきっかけに、思い切って子どもと二人でマレーシアに住むことにしました。暮らし始めて7年半。日本人のロングステイ先として最も人気のマレーシアですが、実際に住んでいる野本さんに聞くと、長く住んでとてもうまくいっている人と、失望して帰ってしまう人とに分かれるのだそうです。その違いは何か? 教えてもらいました。

学校を途中で変わるのは当たり前

 私がマレーシアに興味を持ったのは1990年代。当時、たまたまインターネットのチャットで知り合ったマレーシア人家族との交流がきっかけです。10年以上、互いの国を行き来しながら交流するうちに、彼らの生活ぶりや、子育て環境や考え方に強く影響を受け、いつかはマレーシアに長期滞在してみたいと思うようになりました。

野本響子さん(右)。「マレーシアの新聞記者と取材中です」
野本響子さん(右)。「マレーシアの新聞記者と取材中です」

 マレーシアでは、学校を選んだり、途中で変わったりするのが当たり前。「ハッピーでなければ転校する」という彼らの言葉に驚き、私もできるなら子どもをここで育てたいと思いました。ちょうど子どもが小学校に入学したらなじめなかったので、チャンスかな、と思って2012年にマレーシアにやってきました。最初は1年間の予定だったのが、今まで続いています。詳しい経緯については、最新刊の書籍にも書きました。

 私にとっては、マレーシアの人、国、社会すべてが先生みたいなものですね。

一度キャリアを休止、専業主婦として子どもと二人で住む

 家族は夫と子どもとの3人家族です。夫が日本でサラリーマンとして働き、私はしばらくの間、専業主婦として子どもと二人で住むことにしました。他に日本の小さなマンションの家賃収入があります。

 移り住んだ当時、マレーシアでの生活費は下記の通りでした。

2012年に野本さん親子がマレーシアに住み始めたとき、1カ月の生活費は? 次ページで紹介する
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どんな人がマレーシアへの移住に向いている? 5ページで紹介する
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