「越境」して他の組織や業種の人に接すると仕事への学びが多い、とARIAではたびたび取り上げてきました。今回はさらにその枠を広げて、ホテル総料理長やスポーツ指導者、バレエ芸術監督やオーケストラの指揮者、さらに巨大なボランティア組織や旅館の女将と、異分野のリーダーたちに仕事やリーダーシップの心得を聞きました。新しい気づきや学びがあるはずです。

 「リーダーは柳のように振る舞ったほうがいい」と話す日本のアーティスティックスイミング(AS、旧シンクロナイズドスイミング)指導者の井村雅代さん。日本のみならず中国代表、イギリス代表でも結果を残してきた。スパルタ熱血指導のイメージが強いが、そのコーチングは緻密で論理的。選手の潜在的な能力を引き出し、目標を達成させる指導法を聞いた。

選手は自分の限界のずっと手前にラインを引いている

編集部(以下略) 1984年のロサンゼルス五輪から東京五輪まで五輪10大会にコーチや監督として出場し(うち北京五輪とロンドン五輪は中国の監督)、東京五輪以外は全大会でチームにメダルをもたらしています。世界的に見ても稀有(けう)な存在だと思いますが、どんな指導をしてきたのでしょうか。

井村雅代さん(以下、井村) 選手に恵まれてきたのが一番。世間には「鬼コーチ」と思われているみたいですが、そんなことはない(笑)。ただ、選手が自分の能力に気づいていなかったり、出し惜しみしたりしているのが分かると、あの手この手を使って才能を引き出してやりたくなるんです。

 時にはプールサイドで大声を張り上げることもありますが、そんなシーンだけメディアが切り取って、鬼コーチの異名を頂戴してしまいました(笑)。

井村雅代
井村雅代
いむら・まさよ/1950年大阪市生まれ。大阪市内の中学校などで保健体育科の教諭を務めた後シンクロ指導者となり、78年から日本代表コーチに就任、85年に「井村シンクロクラブ」(現・井村アーティスティックスイミングクラブ)を創設。東京五輪以外、コーチとして出場したすべてのオリンピックでメダルを獲得。 武田美保、青木愛など、多くの名選手を育ててきた

選手が油断しているときに声をかける

―― でも、歴代の選手たちは「限界を超えさせる指導」は厳しかったと。感謝を込めながら証言しています。

井村 選手は、本来の自分の限界のずっと手前に限界ラインを設定している。リーダーや指導者は、選手が勝手に引いた限界ラインを超えさせる手助けをして、新たな能力に気づかせ、自信を持たせることも大きな役目だと思います。

 ただ選手によって体格や性格、考え方、育った背景も違うので、その人に最も効果的な指導法を見いださなければなりません。

―― 歴代選手らは「先生はとても緻密。指摘されたことに反論の余地もなかった」と言っています。

井村 毎日、選手の一挙手一投足を観察していますから。練習のときだけでなく、ウオーミングアップから食事時のおしゃべり、表情、動き、体の変化などありとあらゆることをチェックしています。

 そして、何かあると思ったら、コーチの部屋に呼ぶのではなく、プールサイドですれ違ったときに「何かあったん?」とさりげなく声をかける。部屋に呼ぶと選手も構えてしまい本音を隠してしまいがちなので、選手が油断しているときを見計らって声をかけます。