「越境」して他の組織や業種の人に接すると仕事への学びが多い、とARIAではたびたび取り上げてきました。今回はさらにその枠を広げて、ホテル総料理長やスポーツ指導者、バレエ芸術監督やオーケストラの指揮者、さらに巨大なボランティア組織や旅館の女将と、異分野のリーダーたちに仕事やリーダーシップの心得を聞きました。新しい気づきや学びがあるはずです。

 2022年3月に開催された東京マラソン2021。2万人を越えるランナーの受付、誘導、給水やコースの管理など、さまざまな場面で大会運営を支えているのは、約1万人のボランティアたちです。

 大会のために集まる一期一会のボランティアたちをどのようにしてまとめあげ、心を1つにして、大会を成功へと導いているのか。07年の第1回大会からスタッフとして加わり、現在は東京マラソン財団 社会協働事業本部長としてボランティアスタッフ全体を統括する山本悦子さんに聞きました。

東京マラソン財団 社会協働事業本部長 山本悦子
東京マラソン財団 社会協働事業本部長 山本悦子
2007年 東京マラソン2007(第1回)からボランティアの運営を担当。15年に東京マラソン財団オフィシャルボランティアクラブ「VOLUNTAINER」の設立・運営に携わる。同年、運営統括本部ボランティアセンター長に就任。21年から社会協働事業本部の本部長

ボランティアリーダーへの応募が、大会運営スタッフに

編集部(以下、略) 山本さんは、もともとマラソンには興味があったのですか?

山本悦子さん(以下、山本) 初マラソンは03年です。ワーキングホリデー先のカナダから帰国するときに、ハワイに寄って、前から走ってみたいと思っていたホノルルマラソンに参加しました。走っていると知らない人が給水を手渡してくれたり、沿道の人が応援してくれたり、いろいろな人に支えられながら走るマラソンの魅力にはまりました。

 以来、トレーニングをしながら、毎年ホノルルマラソンに出場するようになって、06年には自己ベストを記録しました。

 その06年12月のホノルルマラソンのエントリーをしたあとに、07年2月に第1回東京マラソンがあることを知ったのです。しかも、ボランティアリーダーを募集している。ホノルルマラソンと開催時期が近いのでランナーとして両方に出るのは難しくても、ボランティアという形で関わる方法もあると思って応募しました。

―― 第1回からボランティアリーダーとして関わっていたのですね?

山本 実はボランティアの1人として関わる予定がいきなりスタッフになったのです。ボランティアセンターの方とやりとりしているときに、スタッフが足りないのでボランティアセンターで働きませんかと声をかけていただいて、面白そうと飛び込みました。

 これもご縁なのですが、当時私は派遣社員として働いていて、12月末で契約期間が終わるため1月からの仕事を探していたのです。そのまま面談を受けて1月4日から働きだしました。