バブル崩壊後の不況期に社会に出る運命にあったがゆえに、就職難に見舞われた氷河期世代。40代の多くの方は、少なからず氷河期に辛酸をなめた経験があるはずです。氷河期はなぜ生まれたのか、氷河期世代を取り巻く環境の変化、さらにはウィズコロナの時代にこの世代がどうなっていくかを考察。「氷河期の壁」を乗り越え、苦難を成長の源泉に変えた女性たちのレジリエンスにも迫ります。

ふるさと納税ブームの立役者と就職氷河期

 ふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を2012年に開設し、ふるさと納税ブームの立役者となったトラストバンクを率いる須永珠代さん。2020年1月には会長に就任し、自治体に対する災害支援などの新事業も積極的に展開させていますが、実は、「社会人のスタート地点で大きくつまずいた」と言います。

 22歳の須永さんの前に立ちはだかったのは、就職氷河期の大きな壁。学生生活を送った東京では内定を得ることができず、やっとのことで地元企業に事務職として入社しますが、1年で退社。その後は派遣社員やアルバイトとして10以上の職を転々とする20代を送り、30歳の誕生日に起業を決意するも、リーマン・ショックの余波で1年間失業。38歳でトラストバンクを設立するまでに、幾度となく逆境を乗り越えてきました。「氷河期を経たことでバネが強くなった」「氷河期の経験をありがたいと思える境地にやっとたどり着けた」と話す、須永さんの「氷河期レジリエンス」とは?

トラストバンク会長兼ファウンダー 須永珠代さん
トラストバンク会長兼ファウンダー 須永珠代さん
1973年、群馬県生まれ。就職氷河期の1995年に大学を卒業し、唯一内定を得た地元の会社に事務職として入社。1年後に退社し、上京。30代でITベンチャー2社に勤め、ウェブデザイナーを経てディレクター、コンサルタントとして活躍。2012年にトラストバンクを設立し、全国初のふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を開設。20年1月より現職

夢破れて、やりがいを模索した20代

―― 社会人になったのは1995年。就職活動はまさに氷河期の頃ですが、どのような結果でしたか?

須永珠代さん(以下、敬称略) 「都内で一人暮らしの女性」という時点で、会社説明会に行けない、履歴書を送らせてもらえない状況でした。私がどのような人物かという以前にすべてはじかれてしまった印象です。募るのは「なぜ?」という思いばかり。チャンスさえ与えられないことに、ものすごく憤慨していました。

 やっとの思いで内定を得たのが地元・群馬の自動車ディーラーでした。どうしても東京で就職がしたい! と頑張っていたのですが、それはかなわず、不本意な思いで実家に帰ることに。結局は、その会社を1年で退社してしまいました。

―― もともとは、どんなところで働きたいと思っていたのですか?

須永 正直なところ、「どこでもいいから就職したい」というのが第一目標でした。こちらがえり好みできるような状況ではなかったですから。バブル絶頂期の高校時代は「名の知れたメーカーに入って事務をする」ことが目標。事務職として入社して、いい相手を見つけて結婚する……みたいな。大学4年生の時点でその野望はもろくも崩れ去りましたけれど(笑)。

―― 起業して活躍する今の須永さんの姿からは想像できない目標ですね。せっかく受かった会社をなぜ1年で退社したんですか?

須永 やっぱり現実はなかなか厳しくて。幸運が重なって入ることができた会社だったのですが、先輩たちはみんな愚痴を言い、ため息をつきながら仕事をしていたんです。仕事内容も面白くなかった。私の想像では、お金を稼いで自立する社会人って、すごくキラキラしたものだったんです。あまりにも想像と現実が乖離(かいり)していたのと、もっといろんな世界を見たいと思い、退社後に再び上京。派遣社員になって職が定まらず、やりがいとキャリアの模索が始まりました。

―― 「30歳の誕生日に起業を決意、宣言した」と聞いたんですが、職を転々とする生活の中でいきなりひらめいたのですか?