40代はなんとか頑張れそうな気がする。でもその先、「50代の私のキャリア」は? 男女雇用機会均等法第1世代が50代中盤を迎える今、やがて来る定年をどう迎えるかという課題に女性も続々と直面します。どういう働き方をすれば充実した仕事人生を送れるのでしょうか。キャリアを高めるべきか、広げるべきか、はたまた「賢く降りる」べきか――「50代のキャリアを輝かせる」コツをお届けします。

 さまざまな50代キャリアの歩み方がある中で、「定年まで会社員を全うする」という道は、多くの人にとって現実的な選択肢の一つでしょう。TBSテレビの人事労政局で働く藤田多恵さん(59歳)は、記者職などを経て約20年人事畑を歩み、来年定年を迎えます。「私、これがやりたいという強い意志があまりないんですよ」と笑う藤田さんですが、異動に柔軟に向き合い、その時々の仕事や興味に関連した外の学びの世界に積極的に出掛けることで、40代、50代は結果的にとても充実していたと振り返ります。ラインの管理職を退いた今もポジティブな日々を送る藤田さんに、50代キャリアを楽しむ秘訣を聞きました。

藤田多恵<br>TBSテレビ 人事労政局担当局長
藤田多恵
TBSテレビ 人事労政局担当局長
1961年生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業後、東京放送(TBSテレビ)入社。報道記者や情報番組のディレクターを経て、96年に人事労政局へ。約20年にわたって採用や人材開発に携わり、人材開発部長を務めた。2015年に編成考査局へ異動し、翌年編成考査局長に就任。19年に人事労政局へ戻り、現在はテレワーク推進を担当する。シニア産業カウンセラー、キャリアアドバイザーの資格を所有する他、19年に日本語教育能力検定試験に合格。夫と大学院生の娘との3人暮らし。

キャリア形成はあえて「受け身」、人材開発の仕事に開眼

―― 藤田さんはTBSに入社した当初、報道記者や情報番組のディレクターをされていたそうですね。

藤田多恵さん(以下、敬称略) 私が入社したのは、男女雇用機会均等法施行(1986年)の2年前。均等法を見据えて、番組制作の現場要員としてアナウンサー以外で初めて女性が採用された年でした。

 同期約40人のうち制作部門の女性は4人。情報番組と報道番組に2人ずつ配属され、私は報道局へ。最初は夕方ローカルのニュース番組のディレクターを2年、その後は社会部の記者として警視庁記者クラブに詰めたり、政経部で官邸や野党を担当したり。記者を8年やった後はワイドショーの制作に携わり、35歳のときに人事へ異動しました。

政経部記者時代の藤田さん(写真左)
政経部記者時代の藤田さん(写真左)

―― 現場を離れることはすんなり受け入れられたのでしょうか?

藤田 いろんな人と仕事をしたり、番組を作ったりするのはすごく楽しかったんですけど、一方で自分の能力の足りなさは常に感じていました。ニュースはスクープ競争の世界。自分はそういう中でバリバリできるタイプだとは思わなかったので、管理部門でサポート業務みたいなことをやるのもいいのかなと思ったんです。

 これは私の持論なのですが、自分で「これがやりたい」というのはもちろんありつつも、人に自分を見てもらって、「こういうことをしてみたら?」と言われたことに乗ってみるのも一つの道かなと思うんです。言われたことを一生懸命やっているうちに、自分の好きなこと、向いていることも見えてくるのではないかと。

―― 若い頃から、キャリアに対してとても柔軟な考え方をお持ちだったんですね。

藤田 いえいえ。実際のところ何をするかも分からず、言われたからとりあえず行っただけで(笑)。でも結果的に人事には20年近くいることになりました。

 中でも長く携わったのが人材開発。単なる研修だけでなく、マネジメント層向けのさまざまな学びのセミナーをつくったりして、自分自身とても勉強になったし、仕事なのか趣味なのか分からないくらい楽しかったです。

 仕事が充実していた理由としては、40歳になる前くらいから積極的に社外の学びの場に出掛けていったことも大きかったと思います。

―― 何かきっかけがあったのでしょうか?