仕事をするのは定年まで、というのは過去の話。その先の長い人生を楽しく前向きに過ごすためにも、年齢で区切らず仕事を続けたいと考える人も多いでしょう。でも、実際のところ60代、70代でどんなふうに働き続けられるの? 体力的に厳しくない? そんなモヤモヤが浮かんだときにヒントをくれるのが、一足先を行く人生の先輩です。「今の自分がやりたい仕事」を自然体で続けている65歳以上の女性たちを紹介します。

 50歳。多くの人が自分のキャリアの終わりを意識し始めるその年に、映画監督という仕事に挑戦した松井久子さん。以来、老いや介護、女性の問題などをテーマにした『ユキエ』『折り梅』、そして彫刻家イサム・ノグチの母親の生涯を描いた『レオニー』などの映画作品を世に送り出してきた。そんな松井さんがこのほど、74歳にして初めての小説『疼くひと』(中央公論新社)を発表。70代の女性が15歳年下の男性に身も心も溺れ、性の喜びを取り戻すまでを丹念に描いた。「女性にとって自分のための人生は、50歳からですよ」と喝破する松井さんのこれまで、そしてこれからの展望とは?

雑誌ライター、俳優のマネジャー、テレビドラマ・ドキュメンタリー番組のプロデューサーなどを経て、1998年、52歳のときに『ユキエ』で映画監督デビュー。「これまで積み上げてきたものを失うかもしれない恐怖はなかったですか?」と聞くと「積み上げてきたものって、一体何があるの?」と松井さん
雑誌ライター、俳優のマネジャー、テレビドラマ・ドキュメンタリー番組のプロデューサーなどを経て、1998年、52歳のときに『ユキエ』で映画監督デビュー。「これまで積み上げてきたものを失うかもしれない恐怖はなかったですか?」と聞くと「積み上げてきたものって、一体何があるの?」と松井さん

「それより小説を書いたら?」上野千鶴子さんの一言で挑戦

編集部(以下、略) なぜ、映画監督である松井さんが小説を書こうと思ったのでしょうか。

松井久子さん(以下、松井) 50歳のときに最初の映画『ユキエ』を撮り始めてからこれまで、20年ちょっとの間に劇映画を3本、ドキュメンタリー映画を2本撮ってきました。

 2作目の認知症の介護問題を扱った『折り梅』は、時代ともマッチして100万人もの人に見ていただくことができました。続く3作目の『レオニー』は、7年がかりで13億の資金を集め、日本とハリウッドの最高の役者やスタッフを集めた日米合作映画。これでもう、劇映画はいいかな、と思ったんですね。で、その後ドキュメンタリー映画を2本撮った後、いよいよ仕事がなくなってきた頃に、社会学者の上野千鶴子さんとメールでやり取りをする機会があって。「最後に映画を創るなら、社会派的なものはもういいから、ダイアン・キートンが演じるような大人の恋愛映画が創りたい」と書いていました。冗談のつもりでね。

 そうしたら上野さんが「あら、またお金集めで苦労するの? それより小説を書いたら?小説ならお金がなくてもできますよ」って。

 私の中では昔から、文学は映画よりもランクが上なんですよ。映画は、俳優さんやスタッフの才能や力を借りられるけれど、小説はすべてを自分一人の才能で勝負するものでしょ。そんなのとても恐れ多くてできるわけないわ、と思いつつ、挑戦したくなってしまう。もうこれは性分、というより癖ですね。いつもの挑戦癖。どういうふうに書いたら「文学」になるのかしら、という好奇心もありました。それにこの時点では出版とか全く考えていませんから、時間もあることだし、書いてみようかな、と。

小説を書いて「70代の自由さ」に気づけた

―― 小説を書くにしてもいろいろなアプローチから挑戦ができると思うのですが、同世代の女性の性愛をテーマにしたのはなぜですか。

松井 セクシュアリティというのは、私のやり残した宿題、映画では触れないできたテーマでした。むしろ、不得意科目と思っていた。私、恥ずかしいくらい自分本位で生きているの。だから、何をつくるのであれ、テーマを決めるときは、「今を生きている自分」から離れることができません。例えば50代の私が認知症の映画を撮ったのは、それが当時の最大の関心事だったから。でも、70代の今はそんな映画を創りたいと思わない。だって当事者ですもの(笑)。

 それより今の私が向き合いたいテーマは「老いの孤独」と「セクシュアリティ」でした。人生100年時代、私の人生はまだ30年近くあるんですよね。でも社会では、70代の女性はもう女とは見られません。セクシュアリティは生の根源にある問題なのに、私たちの世代はそこにふたをして、考えないようにして生きてきました。だからそこに向き合って、老いた女性の性愛をポジティブに伸び伸びと文字にして、語ってみたかったの。長い間の抑圧があったからこそ生まれた作品です。

 この新しい挑戦はホントに楽しくて夢中になりました。1人で完結する小説ってなんて自由なんだろうとうれしかったし、同時に70代の自由さにも気づきました。シングルマザーとして生きてきた私は、子育てが終わるまでは自分のために生きられませんでした。女の人生、50代までは仕事と子育ての時代、60代までは介護の時代だったという方も少なくないでしょう。そんなもろもろから解放されるのが70代なんですね。人生の最後に残された時間は思い切り自分のために生きる時間です。

―― 小説のなかでは思い切った表現をされたわけですが、出版後の反響はいかがですか。

松井 まさかこのまま活字になると思っていなかったので、あれよあれよという間に出版が決まったときは、ちょっとひるみました(笑)。実は同世代にはあまり評判がよくない、というより、リアクションに困るのかみんな黙ってしまうんです。でも、その下の40~50代の方からは「70代でも恋愛ができるんですね」「元気が出ました」とうれしい反響をいただいています。

―― 70代での小説家デビューもさることながら、50歳での映画監督デビューも大変な偉業です。どうしてそんなことが可能になったのでしょうか。