仕事をするのは定年まで、というのは過去の話。その先の長い人生を楽しく前向きに過ごすためにも、年齢で区切らず仕事を続けたいと考える人も多いでしょう。でも、実際のところ60代、70代でどんなふうに働き続けられるの? 体力的に厳しくない? そんなモヤモヤが浮かんだときにヒントをくれるのが、一足先を行く人生の先輩です。「今の自分がやりたい仕事」を自然体で続けている65歳以上の女性たちを紹介します。

 日清製粉グループ本社で定年まで働き、2014年、62歳で高知県四万十町へ移住。現在は野菜ソムリエの資格を生かしながら、ファーム土里夢(ドリーム)を経営する羽澄愛子さん(69歳)。農業を始めるきっかけになったのは、11年の東日本大震災で目にしたある光景。移住後は1年半の間、野菜を売りにしたカフェも営んだ。その後は、ハウス栽培のキュウリやピクルスなどの加工品を作るかたわら、 20年、高知市に6LDKの中古の戸建てを購入。「これからは、血のつながらない小さな家族をつくりたい」と話す羽澄さんの未来への思いとは?

50歳で体調を崩して休職 「定年後」を意識

編集部(以下、略) 1年間の定年延長を経て、61歳で日清製粉グループ本社を退職しています。「定年後の働き方」を意識するようになった時期はいつですか?

羽澄愛子さん(以下、羽澄) 50歳の時に体調を崩し、3カ月間仕事を休みました。定年後についてじっくりと考えたのはそのときが初めてです。47歳で夫を亡くしていたこともあり、残業が当たり前でハードなサラリーマン生活を継続していくことに不安を感じていた頃でもありました。とはいえ、高校生の息子がいたので定年前に会社を辞めるという選択肢はなく、病欠から復帰した後も仕事で忙しい日々を送っていました。

 定年後に向けて大きく動き出したきっかけは、59歳で経験した東日本大震災です。空っぽになったスーパーの棚を見て「お金はあっても買えるものがない。これからの時代は、自分でものを作れる人が強いのではないか」と思いました。それで興味を持ったのが農業でした。

人生初の寮生活を、還暦後に経験

―― 農業に興味を持った後、具体的にどんなアクションを起こしたのですか?

羽澄 ネットでいろいろ調べて知ったのが、高知県が募集していた「都会で学ぶこうち農業技術研修(こうちアグリスクール)」。早速申し込み、仕事のかたわら、半年かけて東京農業大学のキャンパスで農業の基礎を学びました。高知県は園芸の技術が高く、先駆的な県だったのです。プログラムの最後は、四万十町で2泊3日かけてトラクターの運転、ハウス栽培などについての実地研修。四万十町の空気がおいしいこと、自然環境が素晴らしいことを実感し、定年後に移住して農業をやることが現実味を帯びました。東京にいるうちに野菜ソムリエの資格も取得。そのときに作ったネットワークが高知に来てからもすごく生きています。

 会社からは「定年後も残ってほしい」と言われて、定年延長を決意。ただ、正直なところ、立場が変わってそれほど居心地がいいというわけではありませんでした。1年で退社を決め、定年後は高知県立農業大学校で、寮生活を送りながら半年の農業研修を受けました。還暦を超え、初めて送った寮生活はとても新鮮でしたね(笑)。

―― 定年後に「いきなり本格移住」をしたわけではなく、まずは寮生活を送りながら農業について学んだんですね。移住することについて、息子さんはどんな反応だったのですか。

「今後は、都会で定年を迎える単身生活者に住まいと、生きがいを与えられるような農作業の場をつくりたい。高知県は、物々交換が盛ん。よく家の玄関に食べ物がぶら下がっています。住むにはいいところですよ」(羽澄さん)
「今後は、都会で定年を迎える単身生活者に住まいと、生きがいを与えられるような農作業の場をつくりたい。高知県は、物々交換が盛ん。よく家の玄関に食べ物がぶら下がっています。住むにはいいところですよ」(羽澄さん)