海外部門で活躍できるのは「語学力が優れた人」と思っていませんか。実際には「英語は必要になったとき必要なことを学んだ」という人も多くいます。社内公用語化など、「何はなくともとにかく英語」という風潮に反対の立場を取る成毛眞さん。英語以上にアメリカ人の思考のクセや交渉のコツを学べと語る英会話トレーナーの小林真美さん。そして「ペラペラ英語」でなくてもビジネスで「堂々と勝ってきた人」3人の体験談を紹介します。

 米国保険会社の支店として1974年に日本へ進出したアメリカンファミリー生命保険(アフラック)は2018年4月、「アフラック生命保険株式会社」として日本法人化した。その一大プロジェクトの指揮をとったのが、現在、取締役上席常務執行役員である木島葉子さん。数カ月にわたりアフラック米国との対面会議、電話会議を重ねる日々だったが、実は英語はほとんど話せないという。そんな木島さんが責任者としてプロジェクトを担当することになった理由やプロジェクトの修羅場、英語会議を乗り越えたコツとは?

「英語ができないのは分かってるよ」と社長

―― 最初に確認しますが、木島さんの英語力はどれくらいでしょうか?

木島葉子さん(以下、敬称略) 中高大とも英語の成績は悪いほうでした。もちろん帰国子女でもないですし留学経験もありません。外資系に入社したので英語への意識が高かったのではと思われがちですが、浪人して女子大卒だったので当時は就職口が限られてしまい、週休2日のところを必死で探した結果、入れたのが当社だったのです。

 入社後も英語を使う機会はほとんどなく、英語が話せなくてもまったく問題なく40歳を過ぎました。TOEICを受けたのは一度だけ。400点しか取れなかったのでもう二度と受けまいと思いました。隣の男子大学生がすごいスピードで問題用紙をめくっていくのに打ちのめされて、問題を解く気力がなくなったのが思い出されます。こんなに集中力を要するなら、ほかのことにその力と時間を使いたいと思いましたね。

―― そんな木島さんでしたが、アフラック日本法人立ち上げの担当に抜てきされ、アフラック米国との交渉責任者となったのですよね。

木島 きっかけは山内(裕司社長、当時)からの打診でした。それまで私は「やりなさい」と言われた仕事を断ったことはなかったのですが、さすがにこのときは「私が英語ができないこと、ご存じですよね? 大丈夫ですか?」と聞いてしまいました。山内は「そんなこと君に望んでいない」と。「英語ができないのは分かっているよ。それは通訳と翻訳にお願いすればいい。それより、とにかく期日までにやらなきゃいけないことを、やり切れるのは君だろう」と言われました。

 それまで私は東日本大震災後のお客様対応や、システムトラブル時の対応など、有事のときの対応をできるだけ迅速にやりきる、ということを得意としていました。社長は英語力よりその機動力を期待したのでしょう。

 ただ実際は、アサインされた翌日の会議から耳に入ってくる言葉はすべて英語。通訳は付けていたのですが、「話せなくてOKって言われたけど本当に本当!?」と不安になりました。

アフラック生命保険 取締役上席常務執行役員 木島葉子さん
アフラック生命保険 取締役上席常務執行役員 木島葉子さん
1986年実践女子大学家政学部卒業、アフラック入社。主に保険契約手続き、保険料請求収納などの契約管理畑を歩む。2006年契約管理企画部長、07年コンタクトセンターサービス部長。12年執行役員。15~16年に未経験分野の「コンプライアンス・オフィサー」も経験。17年常務執行役員