会社の看板の下で仕事をしている毎日にも、いつか終わりがやってきます。組織を離れたあとも、何か仕事を通じて社会と関わっていきたいと考えているなら、自分にできることや自分の強みを棚卸しして、分かりやすく伝えることが必要になります。定年前に会社を離れて現在は個人として活躍する4人に、「自分ブランド」をどう築いたのか、詳しく聞きました。

 創業間もないオイシックス(現・オイシックス・ラ・大地)に入社し、野菜のスーパーバイヤーとして会社の急成長を支えた小堀夏佳さん。「愛の野菜伝道師」という肩書をつくって22年、ひたすら野菜に向き合ってきました。そんな小堀さんが自分だけの強みに気付いたのは「45歳で何も決めず、フリーになったとき」だと言います。会社を辞めたことで見えてきた自分ブランドとは?

「食の仕事がしたい」と大手銀行を辞めてベンチャーへ

編集部(以下、略) 20年近くオイシックスの野菜バイヤーを務めてきた後、独立し、今はどんな仕事をしているのですか。

小堀夏佳さん(以下、小堀) 野菜に関わるすべての御用聞きですね。企業や生産者団体に野菜のブランディングやマーケティングのアドバイスをしたり、自分でセレクトした産直野菜のセットを通販したり。野菜の栄養や料理に詳しい人は多いけれど、品種から生産、流通、販売とマーケットの出口まで、一貫して野菜のことを分かる人はあまりいないのだということに、独立して初めて気付きました。それが私の強みになっています。

―― そもそも野菜に関わるようになったのはいつからですか?

小堀 新卒で銀行に総合職で入行し、支店で営業をしていました。成績は良かったのですが、頑張り過ぎて燃え尽きてしまい、3年で退職しました。外回りの営業でお客様と直接話す機会が多く、顧客の要望を本店に上げていましたが、大企業だと声がなかなか届かない。そんな経験があったので、次はベンチャー企業がいいと思って。前から興味のあった食の分野で、創業したばかりのオイシックスを見つけました。

 「安心安全な食材を届けたい」という社長、高島宏平さんのインタビューを読んで「これだ!」と思って。特に募集もしていないのに、熱いメールを送って採用してもらいました(笑)。

小堀夏佳
小堀夏佳
こぼり・なつか/1974年生まれ。中央大学経済学部を卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。2001年、オイシックス(現・オイシックス・ラ・大地)に入社。野菜バイヤーとして全国の農家を回り、ヒット野菜を生み出す。18年、バルーンに転職、SONOKOバルーン事業部を経て20年からフリー

「明日からバイヤーね」と名刺を渡された

―― 今は東証プライムに上場したオイシックスも、小堀さんが入社した当時はベンチャー企業だったんですね。

小堀 段ボールが山積みされたビルの1室がオフィスで、システム担当者はそこに寝泊まりしていました。最初は銀行との違いにびっくりして。営業アシスタントとして入りましたが、野菜の仕入れ先が倒産して「じゃあ、明日から野菜のスーパーバイヤーね」と突然、仲卸先などの名刺3枚だけ渡されたんです。

 何も分からないまま、とりあえず電話して発注の仕方から教えてもらいました。欠品しないように毎日1人、ひたすら電話で発注です。当時は野菜の規格も分からず、発注したネギが長すぎて箱に入らないとか、失敗ばかり。在庫のデータ管理もされていない時代でしたので、ノートに手書きです。知識がないので毎日、いろいろな人に怒られながら深夜まで働き、いつ辞めよう、いつ辞めようと思っていました。