会社の看板の下で仕事をしている毎日にも、いつか終わりがやってきます。組織を離れたあとも、何か仕事を通じて社会と関わっていきたいと考えているなら、自分にできることや自分の強みを棚卸しして、分かりやすく伝えることが必要になります。定年前に会社を離れて現在は個人として活躍する4人に、「自分ブランド」をどう築いたのか、詳しく聞きました。

 45歳でテレビ東京を辞めたプロデューサーの佐久間宣行さん。退社後も『ゴッドタン』や『あちこちオードリー』など同社の番組制作を続けるだけでなく、イベントの演出をしたり、Netflixで番組を制作したりと活躍の場を広げています。とがったエンタメ企画を実現する一方で、タレントやスタッフから信頼を寄せられる佐久間さんは、どうやって自分ブランドを築いていったのでしょうか。

自分の強みを見つける方法は2つある

編集部(以下、略) 独立してもオファーが殺到していますね。作り手としてのご自身の強みはいつ頃、どう見つけたのですか。

佐久間宣行さん(以下、佐久間) 自分の強みを見つけるには2パターンあると思います。1つはやってもストレスがたまらないこと。人からは大変だねと言われるのに自分では普通にできること。もう1つは、ちょっと似ていますが、苦労せずにほめられること。その2つが自分の強みとか芸風になる。その強みを早い段階で見つける、見つけようと思って意識して仕事することで、2歩3歩、差ができると思っています。

佐久間宣行 テレビプロデューサー
佐久間宣行 テレビプロデューサー
さくま・のぶゆき/1975年生まれ。早稲田大学卒業後、99年テレビ東京に入社。33歳のとき、夕方の子ども向け番組『ピラメキーノ』を企画。19年からニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』で最年長パーソナリティーを務める。21年3月、退社してフリーに。テレビ東京の番組は継続しつつ、他局でも番組を立ち上げる。自身初のYouTubeチャンネルは登録者50.9万人(22年7月)。著書に『佐久間宣行のずるい仕事術』(ダイヤモンド社)

最初は「やりたいこと」じゃなくてもいい

佐久間 僕の強みは年代によって変わっていきました。最初は生放送の現場で緊張しないから「フロアディレクターが向いている」「仕切りがうまい」と言われました。それがやりたいことではなかったけど、名前と顔が売れて評価されるならいいやと。「得意」と言われた仕事を多く受けた。そうすると顔や名前が覚えられ、仕事ができるイメージがついて企画が通りやすくなった。だから20代はそれで良かったと思います。

 でも、生放送のフロアディレクターが「本当にやりたいこと」ではなかったので、自分が面白いと思う企画書をどんどん出して「やりたい」を行動で示していきました。入社3年目で企画が1つ通って、深夜枠で番組を作らせてもらえた。運良くそれで新人賞を取れたから、「お笑いジャンルの企画が得意なやつ」というキャラクターがついて、それが自分の強みになっていったんですよね。

―― お笑いジャンル以外に「ドラマをやりたい」とか、迷いはなかったんですか?