ARIA世代の働き方を取り巻く環境に、変化が起きつつあります。今の勤務先で70歳まで働き続けることが視野に入る一方、早期退職という選択が頭をよぎる人もいるはず。大企業の人材を地方の中小企業へ流動させる国の政策も本格的に始動しました。私たちには、この先、どんな選択肢があるのでしょうか。around50で「会社を去る」決断をした女性たちのケースも紹介します。

 目の前の仕事に打ち込み、会社の業績が伸びるとともに自らも昇進を続ける――会社員として「理想的な道」の一つを突き進み、アマゾンジャパンで広報本部長・経営チームメンバーを務めた小西みさをさん(53歳)は48歳で独立・起業の道を選びます。「13年間のアマゾンジャパンのキャリアで、退職を考え始めたのは最後の2年ぐらい。それまでは仕事に没頭し過ぎていて、転職や独立を考える暇もありませんでした」という小西さんが、なぜ世界的な企業を退職して起業の道を選んだのかを聞きました。

この会社での自分のミッションは果たした

編集部(以下、略) 小西さんはセガやソフトバンクなど複数の企業で広報を務め、36歳でアマゾンジャパンに入社。48歳で辞めるときに迷いはなかったのですか。

小西みさをさん(以下、小西) スパッと辞められたわけではなく、2年間ぐらい迷いました。

 私がアマゾンジャパンに入社したのは2003年。Amazonが日本に上陸したのは2000年で、当時は「インターネットの書店なんて、うまくいくの?」「米国では成功したけど、日本ではどうだろう」といった目で見られていました。そんな中で毎年「いかにAmazonを知ってもらうか」「日本のお客さまにとってAmazonの存在意義は何か」といった課題を設定し、解決するため、がむしゃらに働いてきました。

 そして、2015年にAmazonがトヨタ、Googleなどを抜き、初めて日本におけるトップブランド(出典:日経BPコンサルティングのWebブランド調査)になり、自分のミッションを達成したと感じました。その頃から「日本全国には他にも広報戦略で困っている会社があるかもしれない。自分がお役に立てるのでは」と、起業を考え始めました。

小西みさをさん
小西みさをさん
セガ、ソフトバンクなどの広報を経て、2003年にアマゾン ジャパンに入社。13年間の広報活動の中で、「企業の存在意義」を強調したPRを戦略的に展開した。「起業するときは、みんな不安だと思います。何の不安もなく、起業する人なんていないのでは。でも、思い切ってアクションを起こしたら、人生がぐっと楽しくなりました」

会社はきっと成長する、でも私の成長は――

―― とはいえ、広報本部長、経営チームメンバーのポストを手放すことに未練はありませんでしたか。しかも会社の業績が悪いわけではなく、むしろ伸びている中での退職でしたね。

小西 辞めるワクワク感のほうが大きかったですね。Amazonはトップブランドになって、きっと私がいなくても成長し続けるでしょう。このまま保証されているポストにいても自分の成長につながるだろうか――という思いもありました。実はセガもソフトバンクも会社が伸びている時期に退職しています。私はチャレンジするほうに飛び込んでしまう、笑いながらいばらの道を選んでしまう性分なんです。

―― それまでに辞めよう、独立しようと思ったことは。

小西 ありませんでした。Amazonの成長スピードがすごかったですし、朝からメールチェック、昼間は会議に次ぐ会議。取材対応だけでもかなりの数です。夜は海外とのやりとり、と分刻みで仕事をしていて、正直、自分の人生について深く考える時間がありませんでした。友人には「いや、それは言い訳だよ。それでもみんな考えるんだよ」と言われたことがありますが……とにかく35歳から48歳までは家庭も顧みず、仕事に没頭していました。無事に育ってくれたからよかったものの、今でも息子には申し訳なかったと思う部分もあります。

―― 2016年の退職は、何かきっかけがあったのですか?