新型コロナウイルスの感染拡大により、日本全国を対象に緊急事態宣言が出され、世界でも先進国を筆頭に人的、経済的、社会的に大きな犠牲がもたらされています。働き手として経済を支えていくべき私たちは、今後、どんな働き方・生き方をしていけばいいのでしょうか。現在を正確に知ってより良い将来につなげるために、各界のリーダーに取材した声を緊急特集でお届けします。

「予想外の変化球」が背中に当たって館長就任

―― 横浜美術館館長を11年間務め、「横浜美術館といえば逢坂館長」というイメージでしたが、2020年4月から国立新美術館の館長に専任。まさかの転身にとても驚きました。

逢坂恵理子(以下、敬称略) 2020年の3月に横浜美術館館長を退任したら、引退するつもりでした。私、今年で70歳なんですよ(笑)。少し自由の身になりたいと思っていたんです。全く予想外の変化球が背中に当たったという感じです。

―― 引退するつもりが、なぜ、さらなる重責を担うことに?

逢坂 そもそも、私はしっかりとキャリアプランを立てたことがありません。「美術界で学芸員の仕事を継続できるのは、ありがたいこと」という思いが強かったのです。なぜなら、私が公立美術館(水戸芸術館現代美術センター)の学芸員になれたのは43歳のとき。高校生で「学芸員になりたい」と思って大学も美術史を専攻したのに、助走期間が非常に長かったんです。

 だからこそ、常に「目の前の仕事にできる限り全力投球をする」という思いでやってきました。自分のゴールは館長だなんて思ったことは全くなかったですが、常に予想外のところから声がかかって。美術界への最後のご奉公だと、老骨にむち打って受けたんです(笑)。でも、まさかの新型コロナウイルス感染問題が起きて……もう、大変です。

国立新美術館長 逢坂恵理子
国立新美術館長 逢坂恵理子
1950年、東京都生まれ。国際交流基金、ICA名古屋を経て、94年から水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、97年から2006年までは同センターの芸術監督を務めた。07年から森美術館のアーティスティック・ディレクター、09年から20年3月まで横浜美術館館長。ヴェネチア・ビエンナーレ(01年)日本館コミッショナー、横浜トリエンナーレなどこれまでに多くの現代美術展を手がけてきた

―― 国立新美術館が臨時休館する際のメッセージ「芸術活動は世界や人間への理解を深め、他者や異なる価値観との共存、多様性を受け入れる視点への気づきを与えてくれるものです。世界規模の非常事態をともに乗り越えるためにも芸術の力は決して小さくありません」が印象的でした。

逢坂 新型コロナウイルス感染予防のために、テレワークに移行された方も多いと思います。現場に行かなくても遠隔でのやり取りでいろいろな仕事が行われるようになりました。世の中がドラスチックに変わっていく中で、今後、私はますます美術が必要になると思っています。