新型コロナウイルスのパンデミックという100年に1度の危機に直面し、「今こそ誰かの力になりたい」「何か自分にできることをしたい」という思いがわき起こった人も多いでしょう。1歩を踏み出した人たちのケースから、忙しくても無理のない範囲でできる「社会活動」について考えます。誰かのためにと思ったことが、実は自分に大きな何かをもたらして人生を豊かにしてくれます。

 「誰かの声を背負っているというのは責任があること。私たちに託してもらった以上、やらないという選択肢はありませんでした」。NPO法人Fineを立ち上げた理事長の松本亜樹子さんは、仲間3人と手探りで活動を始めた17年前から今までの歩みをそう振り返ります。

 Fineは不妊の当事者団体として、不妊治療患者への情報提供や心のケアなどを行うほか、不妊体験者が抱える悩みの解決を目指して医療機関や公的機関への働きかけをしています。松本さんはフリーランスでビジネスコーチ(人材育成)の仕事をする傍ら、Fineの活動を続けてきました。「初めはNPOを立ち上げるつもりなんて全くなかった」といいますが、自分と同じように不妊治療をしている人たちとの出会いが、松本さんを思いがけない方向へと導いていくことになりました。

松本亜樹子<br>NPO法人Fine理事長<br>長崎市生まれ。フリーアナウンサーとして活動中に後進の指導に当たったことから人材育成に興味を持ち、企業研修などを手掛けるように。研修講師として活動する中でコーチングの考え方に出合い、国際コーチング連盟認定のプロフェッショナルサーティファイドコーチ資格も取得する。仕事の傍ら、結婚後に不妊を経験したことをきっかけに2005年NPO法人Fineを設立。当初より理事長を務めている。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)
松本亜樹子
NPO法人Fine理事長
長崎市生まれ。フリーアナウンサーとして活動中に後進の指導に当たったことから人材育成に興味を持ち、企業研修などを手掛けるように。研修講師として活動する中でコーチングの考え方に出合い、国際コーチング連盟認定のプロフェッショナルサーティファイドコーチ資格も取得する。仕事の傍ら、結婚後に不妊を経験したことをきっかけに2005年NPO法人Fineを設立。当初より理事長を務めている。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)

気軽な「サークル活動」のつもりが、思いがけず団体の代表に

 「私はもともと生理不順がひどくて、30歳で結婚するとすぐに不妊治療を始めました。2000年ごろのことですが、当時は不妊治療に関する情報がほとんどなく、自分が不妊だということを話す人もあまりいませんでした。

 独りぼっちで治療に向き合う中でリアルな情報が欲しいと思っていたところ、夫がパソコンを買うと言い出して。それならインターネットで不妊の情報を検索できるなと思ったんです」

 松本さんは不妊の人が集まるネット上の掲示板を見つけ、毎日のようにチェックし始めます。「『不妊の人って私以外にもこんなにいたんだ!』ということがまず衝撃でした。ある日勇気を出して書き込みをしたら、元気に発言している何人かのうちの一人が声を掛けてくれて。そこから仲間が増えていき、その中の一人に『リアルなサークルみたいなものを作りたいから手伝ってくれない?』と誘われたんです」

 軽い気持ちで話を聞いてみると、「もっと世の中を変えていきたい。でもどうしたらいいか分からない」とのこと。それならできるだけ人が多いほうがいいと仲間を誘い、まずは4人で活動を始めようと松本さんたちは2003年の秋に動き出しました。しかしその矢先、発案した友人が切迫流産で入院。既に、「みんなが何に困っているかを聞きたいよね」と団体設立準備のためのアンケートを開始し、「治療費の助成を実現するために署名を集めたいよね」という話も出るなど、具体的なアクションが進んでいました。

 「そこから、流れで私が代表をやることになったんです。なので、よく『団体を立ち上げたきっかけは?』とご質問いただくのですが、実は私が言い出しっぺと言うことではないんですよね」と苦笑する松本さんですが、このとき実施したアンケートが、どこか成り行き任せだった気持ちを一変させます。