新型コロナウイルスのパンデミックという100年に1度の危機に直面し、「今こそ誰かの力になりたい」「何か自分にできることをしたい」という思いがわき起こった人も多いでしょう。1歩を踏み出した人たちのケースから、忙しくても無理のない範囲でできる「社会活動」について考えます。誰かのためにと思ったことが、実は自分に大きな何かをもたらして人生を豊かにしてくれます。

 日経ARIAの人気連載「小島慶子のARIAな一歩」でもおなじみの小島慶子さんは、30代半ばから社会活動を身近に感じるようになったといいます。今回、小島さんと、日本の貧困家庭の子どもへ学習支援を行っているNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長がリモートで対談。ソーシャルセクターとの出合いで広がる新しい世界や、ARIA世代が社会活動に参加する意義についてお話を聞きました。2回に分けてお届けします。

私たちはなぜ社会活動に関心を持つようになったか

―― 小島さんはキッズドアのアドバイザーを務めていらっしゃるそうですね。どんな経緯で団体のことを知ったのでしょうか。

小島慶子さん(以下、敬称略) たまたま友人たちがNPO代表やソーシャル系のPRなどをしていて、その中の一人に由美子さんを紹介されたのがきっかけです。それでお話を聞いてすごく共感して、アドバイザーをお引き受けしました。ただ、私が日本とオーストラリアを行ったり来たりの生活なので、なかなか会合にも参加できなくて。

渡辺由美子さん(以下、敬称略) 私たちとしては小島さんのような方がアドバイザーとして参加を表明してくださるだけでもすごくありがたいんです。団体としての信用度も上がりますし、署名活動なども、発信力のある小島さんがツイッターで広めてくださると、その後でどっと反響があります。

―― 初めに、お二人が社会活動を意識するようになったきっかけを教えてください。

小島 これはぜひ由美子さんのお話から伺いたいです!

渡辺 私はいわゆるバブル世代で、大学を卒業して百貨店で販売促進などの仕事をしていました。割と楽しい現場で毎日充実していましたが、当時女性は出産のタイミングで仕事を辞める人がほとんど。私も結婚してそろそろ子どもをと思い、30歳くらいのときに一旦正社員を辞めて、フリーランスのマーケティングプランナーになりました。こう言うとかっこいいですが、ほぼ9割が子育て。仕事は依頼があったものを細々とやる感じで、そのときに初めて社会と断絶されたような孤独感を覚えました。

 その後長男6歳、次男3歳のときに、夫の仕事の関係で1年間英国に行くことになったのですが、驚いたことに長男が入学した現地の公立小学校では一度も集金がありませんでした。日本だと公立でも給食費とか教材費とか、それなりにお金はかかりますよね。英国では家庭の経済状況にかかわらず、学校は誰もが何の心配もなく通えるようなしくみができていたんです。

渡辺由美子<br>NPO法人キッズドア理事長<br>千葉大学卒業。大手百貨店、出版社、マーケティングプランナーを経て、2007年任意団体キッズドアを立ち上げ、09年にNPO法人化。日本のすべての子どもが夢と希望を持てる社会を目指し、活動している。18年、著書『子どもの貧困』(水曜社)を上梓。内閣府 子供の貧困対策に関する有識者会議 構成員。厚生労働省 社会保障審議会・生活困窮者自立支援及び生活保護部会委員。一般社団法人全国子どもの貧困・教育支援団体協議会 副代表理事
渡辺由美子
NPO法人キッズドア理事長
千葉大学卒業。大手百貨店、出版社、マーケティングプランナーを経て、2007年任意団体キッズドアを立ち上げ、09年にNPO法人化。日本のすべての子どもが夢と希望を持てる社会を目指し、活動している。18年、著書『子どもの貧困』(水曜社)を上梓。内閣府 子供の貧困対策に関する有識者会議 構成員。厚生労働省 社会保障審議会・生活困窮者自立支援及び生活保護部会委員。一般社団法人全国子どもの貧困・教育支援団体協議会 副代表理事