「30代だと部長にはちょっと早いよね」「私も50代、新しいことに挑戦するような冒険はやめておこうかな」――。そんな風に年齢に基づく固定観念で判断したり差別したりするのがエイジズムです。気づかないうちにとらわれていませんか? エイジズムに縛られない思考が身につけば、組織はもっと活性化し、個人の人生はより豊かになります。

 年齢にとらわれず生涯現役で働ける仕事の1つに弁護士が挙げられる。ただ、司法試験の壁は高く、合格まで何度も挑戦する人は多い。弁護士の神山昌子さんもその1人だ。神山さんが弁護士としてデビューしたのは61歳、勉強を始めて実に23年目のことだった。その挑戦の日々について話を聞いた。

神山昌子さん
神山昌子さん
かみやま・まさこ 弁護士。桜丘法律事務所、第二東京弁護士会所属。1944年生まれ。国際基督教大学卒業後商社に勤務し、結婚退職、出産後に離婚。37歳から司法試験を受け続け、23回目のチャレンジで合格、2005年61歳で弁護士に。法テラスの一期生として旭川に赴任、法律事務所勤務を経て現職。著書に『苦節23年、夢の弁護士になりました』(いそっぷ社)など

司法試験の受験に年齢制限はない!「弁護士になれば子どもを養っていける」

編集部(以下、略) 神山さんが弁護士を目指したきっかけは何だったのですか?

神山昌子さん(以下、神山) きっかけは、パートの仕事の待ち時間に書店で法学に関する本を偶然見つけたことです。法律の世界が面白くていろいろな本を読み始めたのですが、司法試験の案内本を見たときに、受験には年齢制限がないことを知りました。

 「合格さえすれば、裁判官か検察官か弁護士の資格が取れる。弁護士は男女差別もないし定年もない。よし、これで子どもを養っていけるぞ!」と単純にそう思いました。そのとき私は35歳。バツイチでまだ小さい息子を1人で育てていたんです。

 24歳で商社に入社して数年間働きましたが、女性は出世できないと思い知りました。男女雇用機会均等法よりずっと前のこと。海外駐在員になりたいと思っても、当時はそもそも駐在員の資格試験を受けさせてもらえませんでした。

 それでも何とか研修にもぐりこんで、1番後ろの席で一生懸命勉強したんです。男性社員が過去の問題集を貸してくれたり、先生も私が出席した講義の内容から試験問題を出してくれたり、応援してもらってついに試験に合格しました。すると今度は取引先から「女なんかよこしてうちを大事にしていないのか」とクレームを出される始末。そのうち心が折れて、結婚して寿退社しました。

 すぐに子どもが生まれましたが、間もなく離婚。仕事を探すのですが、子どもが小さいから遠くの職場はイヤ、お迎えの時間があるので勤務時間は……と条件をつけていたら本当に仕事がありませんでした。市役所の母子担当に紹介してもらってパートの仕事に就いて、何でもやりました。

―― そんな中で弁護士を目指すと決めたんですね。どうやって勉強したのですか?