人生のちょうど折り返し地点に立つARIA世代。仕事への責任感や周囲への義務感にとらわれ、「自分の幸せ」を後回しにしていませんか? 人生100年時代を前向きに生き抜くためには、このへんで自分の幸福度を上げるシフトチェンジが必要かも。自分の「好き」を追いかけて、人生を転換させた7人のケースから、ARIA世代の「幸福論」を考えます。

 「ガンダムのように、人が乗って動かすロボットを造りたい」。子どもの頃に芽生えた思いを変わらず抱きながら、大手建機メーカーでエンジニアの腕を磨いてきた人がいます。石井啓範さん、46歳。石井さんは3年前、「実物大のガンダムを動かす」という期間限定のプロジェクトに参加するため、20年近く勤めた会社を辞めて独立する道を選びます。大胆にも思える決断の背景にあったのは、20代から一貫していた、キャリアに対する明確な信念でした。

石井啓範 ガンダム GLOBAL  CHALLENGE テクニカル ディレクター
石井啓範 ガンダム GLOBAL CHALLENGE テクニカル ディレクター
いしい・あきのり/1974年生まれ。早稲田大学、同大学院在学中に等身大ヒューマノイドロボットWABIANの研究に従事。1999年に日立建機に入社し、双腕作業機アスタコをはじめとする建機ロボット化の研究開発に携わる。2018年に同社を退職、「ガンダム GLOBAL CHALLENGE(GGC)」にテクニカル ディレクターとして参加。

ガンプラでものづくりの面白さに開眼、エンジニアの道へ

編集部(以下、略) 横浜の山下ふ頭で開催中の「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」では、全高18メートルの実物大ガンダムが動く様子を見ることができます。石井さんはこのプロジェクトに参加するために、長年勤めていた日立建機を辞めたと聞きました。もともとガンダムが好きだったそうですが、それにしても大胆な決断ですね。

石井啓範さん(以下、石井) 僕は大学と大学院でヒト型ロボットの研究をしていたのですが、ものづくりへの興味のきっかけは、子どもの頃に出合ったガンプラ(ガンダムのプラモデル)です。

 日立建機に就職したのも、人が乗れるような大型ロボットの開発に必要なスキルが学べると思ったから。ただ、もともとそんなに長くいるつもりはなかったんです。就職する段階で、この先日本社会で終身雇用がなくなっていくことは間違いないと思っていたし、会社に依存する生き方は全く考えていませんでした。

―― ものすごく冷静に先を見通していたんですね。でも結果的に転職することなく働き続けていたのは、それだけ仕事が充実していたということでしょうか。

石井 入社4年目くらいのときに、若手の研究者を対象とした社内コンペがあって、僕の提案が採用されました。それがのちに双腕作業機のアスタコ(アームが2本あって、左右の腕で異なる動作が同時にできる建設機械。その見た目から「ガンダム建機」とも呼ばれる)になるのですが、このアスタコの開発が楽しくて、気づいたら20年近くたっていたという感じでした。

 でも、40代に入って少しずつ開発の現場から離れてマネジメントの役割に移行していくようになると、ちょっとつまらないなあ、このままでいいのかなと思い始めていました。実物大のガンダムを動かすことに挑戦するプロジェクト「ガンダム GLOBAL CHALLENGE(GGC)」と出合ったのは、ちょうどそんなタイミングでもありました。

―― どのような経緯でプロジェクトに参加することになったのでしょうか。