人生のちょうど折り返し地点に立つARIA世代。仕事への責任感や周囲への義務感にとらわれ、「自分の幸せ」を後回しにしていませんか? 人生100年時代を前向きに生き抜くためには、このへんで自分の幸福度を上げるシフトチェンジが必要かも。自分の「好き」を追いかけて、人生を転換させた7人のケースから、ARIA世代の「幸福論」を考えます。

ある朝、突然むなしさでいっぱいになった

 あるときは、空き家専門の敏腕不動産エージェント、またあるときは人気のコワーキングスペース運営者、はたまたあるときは、フードロス解消を目指す八百屋……。「東京を離れてこの街で起業してからは仕事が広がりすぎて、もはや何屋なのか自分でも分からないほど」と苦笑するのは7年前、神奈川県逗子市に移住した阿部真美さん(46歳)。

 外資系の企業買収ファンドの不動産部門を経て、大手シェアハウス運営会社に転職。不動産投資や施設運営の第一線で働き続けてきた阿部さんに、予期せぬ転機が訪れたのは2014年。

 「いつもの朝と同じように、都内の自宅マンションから雑踏をかき分けて通勤する途中、突然『私、何やってるんだろう』とむなしさでいっぱいになってしまったんです」。

7年前、逗子に移住することを決めた阿部真美さん。都内で通勤する毎日に「突然、むなしさでいっぱいになってしまったんです」
7年前、逗子に移住することを決めた阿部真美さん。都内で通勤する毎日に「突然、むなしさでいっぱいになってしまったんです」

 「環境を変えるために東京を出よう」と、その日から家探しを開始。都心の会社まで1時間程度で通える郊外の街を巡り、たどり着いたのが三浦半島東岸の逗子。「季節は初夏。道行く人は短パンにビーチサンダルでのんびり歩いている。穏やかな町のムードに、ここに住みたいと即決しました」。

  「東日本大震災以後の不動産市況の冷え込みで、驚くほど安くなっていた」一戸建てを見つけ、迷わず購入。14年秋に転居した。

 だが実際に引っ越すと、逗子からの通勤は予想以上に時間と体力を奪った。業務内容を精査すると、半分は自宅のパソコンからでも行えると判明。「そこで会社に、週2回程度、在宅勤務にできませんかと伺いを立てたのですが、『前例がない』の一言で却下されました

 当時阿部さんは40歳目前。やりがいを感じていたシェアハウスの企画・運営の最前線から、マネジャー職へ移った頃だった。