今の日本に圧倒的に足りていないもの。それは女性のリーダーです。120位というジェンダーギャップ指数からもそのことが浮き彫りになる中、「大きな組織のトップ」というバトンを受け取った注目のリーダーたちは、どのように考え、自分の色を出しながら動いているのでしょうか。そして、彼女がリーダーになった理由とは? トップダウンでも、ボトムアップでもない、これからのリーダーに必要とされるスキルについても考察します。

 奈良で300年以上続く老舗、中川政七商店の14代目社長のバトンを受け取った千石あやさん。創業家以外では初となる社長に抜てきされたのは、転職して8年目、2018年のことだった。この4月で就任して丸3年。全国に約60の直営店舗を展開する一方で、4月14日には中川政七商店初の複合商業施設「鹿猿狐ビルヂング」(奈良市)の開業という攻めの一手を打つ千石さんに、リーダーとして大事にしていること、先代の中川政七社長(現会長)から学んだことを聞いた。

公募を利用して社長秘書に「経営者の志」を学んだ

―― 中川政七商店に転職したきっかけから教えてください。

千石あやさん(以下、千石) 前職は、大手印刷会社でした。新卒で入社してグラフィックデザイナー、制作ディレクターとして計12年。「20代は仕事しかしていない」と思うくらい仕事が好きでしたが、30代を迎え、マネジメント職を目指すのか、制作ディレクターを続けていくのか、はたまた全く違う仕事をするのか。仕事が楽しかったからこそ、将来のことをしっかり考えなければと思うタイミングがありました。

 漠然とこれからは早いサイクルで消費されるものではなく、長く大事にされるものづくりに関わっていきたい、と考えていたときに転職サイトで知ったのが中川政七商店でした。当時(2010年ころ)の中川政七商店は、和雑貨と呼ばれるものをメインで取り扱っていたのですが、家の中の手仕事で中川政七商店を支える「作部(つくりべ)さん」のインタビューも載っていて「奈良県にこんなに面白い会社があるんだ」、とピンときたんです。すぐに面接を申し込むメールを出し、とんとん拍子で転職が決まりました。

中川政七商店 代表取締役社長 千石あや(せんごく・あや)
中川政七商店 代表取締役社長 千石あや(せんごく・あや)
1976年、香川県生まれ。大手印刷会社に入社し、デザイナー、制作ディレクターとして勤務。2011年に中川政七商店に入社し、社長秘書、商品企画課課長、「mino」コンサルティング、「遊 中川」ブランドマネージャーなどを経験した後、2018年3月より社長を務める

―― 中川政七商店では、どんな職種を希望して転職したのですか。

千石 面接では、「デザイン以外のことだったら何でもやります」と伝えていました。デザインや制作に関しては、自分ができることをやり尽くしたと思っていたので、むしろ全く違う仕事がやりたかったんです。入社してからまずはスーパーバイザーとして小売りを担当し、2、3カ月で生産管理の部署に。私はかなり頻繁にジョブローテーションをしていて、社長に就任する直前はブランドマネジメント室の室長をしていました。

―― 社内公募を利用して社長秘書をしていた時期もあるんですよね。

千石 入社3年目だったのですが、常に中川がやっている仕事が一番面白そうに見えました。一番面白い仕事をしている人の秘書って、仕事としてものすごく面白いんじゃないかと思って。それまでは中川にアサインされての異動が多かったんですが、初めて自分で手を挙げました。実は、中川にとっての秘書第一号でもあったんです。公募の文面にも「自分も分からないから、一緒に秘書という仕事をつくり上げていける人」みたいなことが書いてあったのを覚えています。期間は1年弱でしたが、ものすごく濃密な日々でした。

―― 「濃密な日々」の中でも、特に印象に残っている出来事は?

千石 特に印象深いのは、出店していた大手百貨店さんからの退店を決意し、それを伝える瞬間を目の当たりにしたことです。利益だけを考えれば退店というのはあり得ない選択だったんです。でも、中川政七商店の志や「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを共有できないのではないかというすれ違いが生じ、中川が考え抜いた結果でした。経営者としての決断の決め手になるのは「大事にすべきことを譲らない」という心意気のようなものなんだ、自分たちがどうありたいかを決めるとはこういうことなのか、と学びました。すごく貴重な経験でしたね。