政府や企業が必死で女性活躍を進めているにも関わらず、昨年発表されたジェンダー・ギャップ指数は過去最低の121位に。いまだ管理職の座は男性で占められています。ジェンダーギャップの解消は、個人の問題だけでなく日本の国際競争力を高めるためにも急務。企業などの組織は、そしてARIA世代の女性たちは、何をすべきでしょうか。組織で働く女性管理職や専門家のインタビューで考えていきます。

「男女差別はよくない」という根拠になった法律

 男女雇用機会均等法が制定されてから35年。今では職場で「男女差別しないこと」は当然と受け止められていますが、かつては会社の規定で結婚退社や女性の30歳定年などが公然と定められ、それを規制する法律もありませんでした。労働省婦人少年局(当時)局長として男女雇用機会均等法を通すために奔走した赤松良子さんに法案成立当時のことを聞きました。

―― 「男女雇用機会均等法」がもたらした社会の変化をどう捉えていますか?

赤松 男女雇用機会均等法は成立のビフォー&アフターで世の中を大きく変えた法律です。今では職場で男女が平等に扱われるのは当たり前のことになっていますが、それまでは企業で働く人たちは「女性を差別することの何が悪い」と思っていた。それが一般的な考え方でした。でも、(男女雇用機会)均等法ができたことで、それは正しくないという根拠になりました。「男女差別はよくない」という考え方に変わった。そういうターニングポイントになる法律でした。

「働く女性を守る法律がどうしても作りたい」という思いで法案作りに奔走した赤松良子さん。90歳を迎えた今も、女性の地位を向上させるため精力的に活動を続けている
「働く女性を守る法律がどうしても作りたい」という思いで法案作りに奔走した赤松良子さん。90歳を迎えた今も、女性の地位を向上させるため精力的に活動を続けている

―― 当時の日本では男女差別をなくす法律を作ること自体にも反対の声があったのですか?

赤松 経済界は猛反対でした。「当たり前だ」と思われていた男女差別にNOという法律を作るために、大企業を軒並み回って説明して歩きました。財界は法案に反対するための声明を準備していましたが、旧知の女性記者が事前に声明文を手に入れて見せてくれました。私は彼女に「世界中を見回してみてほしい。先進国では女性差別を撤廃する法律を作っているのに」と訴えた。彼女はそれを記事にしたんです。その新聞報道のおかげで財界にも男女雇用機会均等法に大げさに反対する意見を発表したら笑いものになるという雰囲気が生まれた。これには助けられました。

―― 法案を提出するまでにはどんなご苦労がありましたか?

赤松 まず法律の内容を話し合う審議会にかけなくてはいけませんが、そこでもなかなか進まない。雇用者側の経済界と労働者側の労働組合がチャンバラをするので話がまとまらないのです。学識経験者も困り果てていました。労働者側は総評婦人部長の山野和子さん。男女雇用機会均等法を作るために女子保護規定を外すことに反対でした。