政府や企業が必死で女性活躍を進めているにも関わらず、昨年発表されたジェンダー・ギャップ指数は過去最低の121位に。いまだ管理職の座は男性で占められています。ジェンダーギャップの解消は、個人の問題だけでなく日本の国際競争力を高めるためにも急務。企業などの組織は、そしてARIA世代の女性たちは、何をすべきでしょうか。組織で働く女性管理職や専門家のインタビューで考えていきます。

 今よりもジェンダーギャップが激しかった時代に、女性初の日本IBM取締役に就任し、現在NPO法人・J-Win(ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク)の理事長を務める内永ゆか子さんは、どのようにそのギャップを切り開いてきたのだろうか。特集の1本目では内永さんに、「組織の中ではずっと女性一人で、男性社会ならではの振る舞いを観察してきた」という自身の経験や、ARIA世代の女性たちへの提言をインタビューした。

 「エグゼクティブにならなかったら、今まで苦労した意味が無いじゃない?」と言う内永さんが、そう考えるようになったきっかけは、米国人上司からかけられたある言葉だったという。

女だから部長くらいまで、と思っていた

―― 日本IBMで女性初の取締役に就任し、その後ベネッセやベルリッツでCEOなどを務めた内永さんですら、30代の頃は「部長くらいまでいければ」という考えだったそうですね。

内永ゆか子さん(以下、敬称略) 私が課長になったときは会社中大騒ぎで、どこに行っても珍しい女性として目立っていました。ある日、アメリカ人の男性上司から「君は定年で会社を辞めるとき、どの地位になっていたいのか?」と聞かれて、課長でこれだけ騒がれるならと「部長くらいでしょうか」と言ったら、「その程度でいいのか」と笑われましたね。「それなら、ヴァイスプレジデントに」と恐る恐る言うと、「いいんじゃない?」と。それが32、3歳のときです。

 そこから5年刻みで、定年の60歳までのキャリアプランを作り上げて実行してきました。ただ、私がもし男性なら、初めから社長と言っていましたね。同期でそう言う男性は山ほどいましたから。

内永ゆか子
内永ゆか子
1971年東京大学理学部物理学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社。95年取締役、2000年常務取締役、2004年取締役専務執行役員。2007年4月に定年退職。2007年4月NPO法人J-Win理事長に。2008年ベネッセコーポレーション取締役副会長、ベルリッツコーポレーション代表取締役会長兼社長兼CEO。2013年ベネッセホールディングス取締役副社長退任、ベルリッツコーポレーション名誉会長退任。2002年、ハーバード・ビジネス・スクール・クラブ・オブ・ジャパン ビジネス・ステーツウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞。2013年、男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰受賞。著書に『もっと上手に働きなさい。誰も教えてくれなかった女性のための仕事のルール』(ダイヤモンド社)など

―― 内永さんが、キャリアの中で最もジェンダーギャップを感じたのは、いつでしたか?

内永 IBMにいる間はずっと感じていましたが、最も印象的だったのが、世界中から女性エグゼクティブが集まる会合でスピーチを求められたときのことです。「No more feel lonely」、たった一人だと思わずにいられることがうれしいと言うと、会場がワッと沸きました。会社ではいつも女性一人で、ずっと自分が肩肘を張っていたことに改めて気づきました。毎日嫌な思いをしても、負けてなるものか! とハリネズミのように気を張ってる状態が、普通になっていたんですね。

―― 女性エグゼクティブ同士のつながりはあったのですか?

内永 各国のIBMの女性エグゼクティブのネットワークは大きな支えでした。私がニューヨークに行くと、どんなに忙しくても米IBMの女性エグゼクティブがランチの時間を取ってくれるので、「なぜ多忙な中で私に時間を取ってくれるの?」と聞くと「それが私のgive backだから」と。自分が上の人にしてきてもらったことを、今度は若い人に恩返しすべきと考えているのです。自分もそうあろうと心がけてきたことが、2007年にJ-Winを設立した動機の一つでもあります。