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スゴい二刀流

カーレーサー×事業家×教員 「どれも本職」 井原慶子

どの仕事でも、緊張感と達成感が新たな挑戦への原動力になる


「二兎(と)を追う者は一兎をも得ず」――そう思っているあなたは古いかも。2つの分野に同じくらいの情熱を注ぎ、高みを目指すことで、自身の可能性を広げている人たちがいます。異なる世界を行き来しながら築くキャリアの豊かさやリーダーとしての強みとは? ハイレベルな「二刀流」の実像から、変化の時代を生き抜くヒントを探ります。

スゴい二刀流

 女性カーレーサーの草分けとしてF3や世界耐久選手権に参戦、2013年にはドライバーズランキングで女性の世界最高位を獲得した井原慶子さん。単身海外に渡ってキャリアを築き上げたトップドライバーは、事業家や日産自動車社外取締役といった別の顔も持っています。世界中を転戦する中で磨かれた、ビジネスの第一線でも生きる能力、そしてタフな世界に身を置く井原さんが重視する価値観とは?

井原慶子<br>カーレーサー、Future CEO
井原慶子
カーレーサー、Future CEO
1973年生まれ。法政大学経済学部卒業。99年に「フェラーリチャレンジJAPAN」でカーレーサーとしてデビュー。2005年に英国F3、12年に世界耐久選手権(WEC)に日本人女性ドライバーとして初のフル参戦を果たし、14年にはル・マン24時間レースで日本人最高の総合14位で完走した。16年にソフト99コーポレーション社外取締役、18年に日産自動車社外取締役に就任。20年にFutureを設立し、パーソナルモビリティーの開発・普及に取り組んでいる

成長求めて単身海外へ 悔しさが続ける原動力に

編集部(以下、略) 井原さんは大学時代にサーキット場で目の当たりにしたカーレースに圧倒され、自分もやってみたいと思ったのがカーレーサーを志したきっかけだったそうですが、初めから世界で戦うことを目標に置いていたのでしょうか。

井原慶子さん(以下、井原) やるからには、どこまでできるか本気で試してみたいとは思っていました。1999年、25歳のときに国内のレースでデビューして3位に入賞することができましたが、自動車の世界は男性社会。カーレーサーとして実際に活動していく中で、日本にいては速いスピードで成長することが難しいと感じるようになったんです。

 そもそもレースに参加できないことも多かったですし、参加したときにも結果を出せなければ「女性にはやっぱり危ない」「女性だから運転が下手」などと言われました。じゃあ結果を出せばどうかというと、今度は「井原は○○さんの愛人で、車に特別なエンジンを供給してもらっているから勝てた」などと事実無根の風評。要は、結果を出しても出さなくても女性を認めない。そんな風潮がありました。

―― 経験を積みたくても、機会を得ることも、フェアな評価を得ることも難しかったんですね。

井原 あのまま日本で続けていたら、たぶん転職していたと思います。結果を出しても認められないところでどんなに頑張ってもモチベーションが続かないと思うので。

 私はカーレースを始めたのが遅く、早くステップアップしないと周りに追いつくことができません。モータースポーツの本場のヨーロッパに行ったほうが早く成長できると考えて、渡英しました。

 レースに参加するには、自分で所属するチームを探して交渉しなくてはいけません。英語も最初は片言でしたけれど、現地で勉強しながら1つずつ一人でこなしていきました。

 もちろん、交渉しても断られたり、条件が合わなかったりすることも当たり前にあります。自分のレベルよりはるかに上の環境に飛び込んでいるので、悔しい思いや恥ずかしい経験もたくさんしました。でも、そういった感情こそが続ける原動力になるんです。そして、緊張感のある環境で結果が出せたときには相当な達成感が得られます。

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