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スゴい二刀流

パナソニック参与&ピアニスト 「両立こそが私らしさ」

仕事では2度も所属部署が解散。「米国で音楽に専念しないか」と誘われても、二刀流を辞めなかったわけ


「二兎(と)を追う者は一兎をも得ず」――そう思っているあなたは古いかも。2つの分野に同じくらいの情熱を注ぎ、高みを目指すことで、自身の可能性を広げている人たちがいます。異なる世界を行き来しながら築くキャリアの豊かさやリーダーとしての強みとは? ハイレベルな「二刀流」の実像から、変化の時代を生き抜くヒントを探ります。

スゴい二刀流

 新卒で松下電器産業(現パナソニック)に入社、以来30年以上にわたって会社での仕事を続けながら、30代以降はジャズピアニストとしても活動する小川理子(みちこ)さん。2014年には高級オーディオブランド「テクニクス」復活の総指揮を任され、役員やグループ会社の副社長にも就任。現在はテクニクスブランド事業担当参与、さらには大阪万博の仕事も担当するなど、ますます多忙を極める中で音楽活動も継続しています。小川さんの二刀流キャリアの歩みについてお話を聞きました。

小川理子<br>パナソニック テクニクスブランド事業担当参与、関西渉外・万博担当参与
小川理子
パナソニック テクニクスブランド事業担当参与、関西渉外・万博担当参与
大阪府出身。慶応義塾大学理工学部を卒業し、1986年に松下電器産業(現パナソニック)入社。音響研究所に配属され、音響心理、音響生理を基盤とした音響機器の研究開発に従事する。eネット事業本部、ブランドコミュニケーション本部などを経て、2014年にオーディオ事業部門に異動し、テクニクスブランドの復活を総指揮。15年に役員、17年にアプライアンス社副社長に就任。21年より現職。1993年にジャズピアニストとしての活動も開始し2006年にメジャーデビュー。これまでに自主制作、海外制作を含め14枚のCDをリリースしている

音響の仕事にまい進するも、バブル崩壊で環境が一変

編集部(以下、略) 小川さんは長年パナソニックでお仕事を続け、役員まで務める一方で、ジャズピアニストとしてはメジャーレーベルからCDをリリースし、海外の一流ジャズ演奏家とも共演。これぞ二刀流という華やかな経歴です。

小川理子さん(以下、小川) いえいえ。私のキャリアはでこぼこの連続。会社でも決して本流ばかり歩んできたわけではなく、遠回りしながら諦めずにいろんなことを続けてきた結果なんです。音楽活動を始めたのも、仕事での行き詰まりがきっかけでした。

―― それは意外です。小川さんは理系出身で、音響に関する研究開発職に就きたくて松下電器を志望したそうですね。音楽が好きだったことも理由の1つでしょうか。

小川 はい。私は3歳のときにクラシックピアノを始めたのですが、通っていた教室が割としっかりした音楽教育を受けられるところで、周りは音大を受験して後にプロになる人も多く、私も厳しく教え込まれました。音楽は大好きでしたが進路として考えたことは全くなく、医学や天体、宇宙といったサイエンス系の学問にロマンを感じていたので、大学では理工学部に進みました。

 人間の体と工学の融合領域である生体電子工学の研究室に入り、そこで音響という学問領域を知って興味を持ちました。就職も、音響研究所がある松下電器へ。希望がかなって研究所に配属され、朝から晩まで仕事に打ち込みました。

 メンバーには音楽好きも多く、私にとっては本当に恵まれた楽しい職場でした。しかし、バブルがはじけると状況は一変。音響研究所はマルチメディアの研究部隊の中に吸収され、発展的に解散する道をたどりました。

 入社以来7年間、「これを事業化して世界へ打って出るんだ」という意気込みで取り組んでいた研究テーマもプロジェクト自体が消滅。仲間も別の組織へ移ってバラバラになり、仕事への意欲がすっかりしぼんでしまいました。

 この先、私は会社で働き続けられるのか……1人で思い悩む日々が続きました。

―― なぜそんな大変なときに、音楽活動を始めることになったのでしょうか。

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