「無鉄砲な挑戦」は若者の専売特許ではありません。40代、50代を迎えてから高い壁を越えようと果敢に挑む女性たちがいます。俳優、プロ競輪選手、医師、ワイン醸造家……人生経験を積んでからの挑戦には、20代の挑戦とは違う苦労、そして喜びがあると彼女たちは口にします。何が彼女たちを駆り立てたのでしょうか。年齢の壁をものともせず、新たな使命に向かって突き進む女性たちの挑戦に迫ります。

 大学在学中に通訳を始め、40歳で医学部を受験。医師になるも、大好きな通訳の仕事も続行。さらに55歳で自らのクリニックと、健康づくりの活動や障害児の療育を行うNPOを同時に設立……。キャリアチェンジではなく「キャリアの足し算」で活躍の舞台を広げる伊藤明子(みつこ)さん。でも「一念発起して『挑戦』したことはない」のだそうです。なぜそんなに軽やかに決断して動けるのでしょうか?

伊藤明子(いとうみつこ)/小児科医、社会医学系専門医(公衆衛生学)。東京大学医学部附属病院小児科医。東京大学大学院医学系研究科公衆衛生学/健康医療政策学教室客員研究員。赤坂ファミリークリニック院長、NPO法人Healthy Children, Healthy Lives代表理事。東京外国語大学卒、帝京大学医学部卒、東京大学大学院医学系研究科卒。同時通訳者。近著に『医師がすすめる抗酸化ごま生活』(アスコム)。二児の母
伊藤明子(いとうみつこ)/小児科医、社会医学系専門医(公衆衛生学)。東京大学医学部附属病院小児科医。東京大学大学院医学系研究科公衆衛生学/健康医療政策学教室客員研究員。赤坂ファミリークリニック院長、NPO法人Healthy Children, Healthy Lives代表理事。東京外国語大学卒、帝京大学医学部卒、東京大学大学院医学系研究科卒。同時通訳者。近著に『医師がすすめる抗酸化ごま生活』(アスコム)。二児の母

40歳で医学部を受験。でも「医師になりたかったわけではない」

―― 伊藤さんは、東京外国語大学に在学中から通訳の仕事を始めて、著名人やオリンピック、国際会議の同時通訳など第一線で活躍され、しかも医師となった現在も続けていると伺いました。医学部の受験は40歳のとき、当時は2人のお子さんもまだ小さく、相当お忙しかったでしょうが、なぜ医師になりたいと思われたんでしょうか。

伊藤明子さん(以下、敬称略) 実は、「医師になりたい」と思ったことはないんです。

―― そうなんですか!?

伊藤 通訳の仕事をする中で、障害児の研究機関の同時通訳に長く携わるうちに、小児医療に直接関わる活動がしたいと思うようになりました。また、父の仕事の関係で英国に住んでいたときに触れた自然療法や、父の実家が禅寺であったことなどから、食事や睡眠、普段の生活から自然な形で病気を予防できればいいなと、予防医療にも興味を持つようになりました。

 そうした活動を仕事にするためには医師免許が必要だったので、医学部に行こうと思いました。

―― そうだったんですね。しかも、ご家族には合格してから医学部に行くことを報告されたとも伺いました。学費の捻出のために、通訳の仕事もバリバリ続けられて。医学部となると卒業までの学費は数千万円になりますね。

伊藤 はい、当時は朝一番でTV局のニュース番組の同時通訳に入り、終わるとタクシーで大学に行って授業を受けて、夜は政府機関と製薬会社の世界3極会議の同時通訳に入ったりしていました。周りにいろいろと助けてもらっての医学生生活でした。

―― すごい……。通訳の方は、仕事の準備で短期間に半端ではない量の勉強をすると聞きますが、18歳の人たちと一緒に受験をされた際、特別な勉強法などはあったんですか。

伊藤 特別なものはないんです。朝2時に起きて勉強なんてできないですし。ただ、使える時間が限られているのでとにかく集中しますね。それから、家事や買い物は何でもとにかく速いんです。雑でも多少間違えても、速さ重視です。単にせっかちなだけかもしれませんが。