「サードプレイス」という言葉を耳にする機会がにわかに増えてきました。家庭でも職場でもない、心地よい「第3の場所」。ARIA世代にとって、どんなサードプレイスを持つことが理想的なのでしょうか。サードプレイスを持つことで、人生はどう変わっていくのでしょうか。人生を輝かせるサードプレイスの見つけ方、そして見つけた人の実例を紹介します。

 有名なカフェチェーンが自店舗を「サードプレイス」と称したり、メディアや本でも取り上げたり。「サードプレイス」という言葉を見聞きする機会が増えたけど、そもそもサードプレイスっていったいなに? 本当に私たちに必要なものなの?――『地域とゆるくつながろう!―サードプレイスと関係人口の時代-』(共著)等の著書を持つ、法政大学大学院政策創造研究科教授の石山恒貴さんに、私たちの人生を輝かせるサードプレイスの見つけ方、付き合い方について聞きました。

 4~5ページでは、プロボノ活動やオンラインサロンなど、10年以上さまざまな「第3の場所」に身を置いてきた筆者が取材を経て気づいた、心地いいサードプレイスの持ち方についての考察もお届けします。

サードプレイスの概念が生まれたのは1980年代の米国

―― 「サードプレイス」という言葉をよく聞きます。自宅でも職場でもない第3の居場所、といった使われ方をしていますが、そもそも学問的な定義はどんなものなのでしょう?

石山恒貴さん(以下、敬称略) サードプレイスとは、米国の社会学者、レイ・オルデンバーグが提唱した、自宅(ファーストプレイス)、職場や学校(セカンドプレイス)でもない、とびきり居心地のよい第3の居場所のことで、80年代には『The Great Good Place(邦題:サードプレイス――コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」)』という本も出版されています。

 米国は車社会で、ビジネスパーソンの日常は郊外の自宅と都市部の職場との往復になりがちです。オルデンバーグは都市社会学の観点から、それによって都市に潤いがなくなることを危惧していました。ヨーロッパにはフランスのカフェ、イギリスのパブといった飲食店が、まさに第3の場所となって人の交流を生み、文化も創り出してきた歴史がある。米国の都市社会はこのままでいいのか、という問題提起をしたのです。

―― サードプレイスの条件としては、「自宅、職場や学校でもない」というところが、ポイントなのでしょうか?

石山 そうですね。職場の忘年会を拒否する「忘年会スルー」といった言葉もSNSで流行しましたが、職場のメンバーと居酒屋に行っても、会社の人間関係や上下関係を引きずっているので、そこは「セカンドプレイス」です。

出入り自由な「大人の部活」

石山 サードプレイスは、義務感に縛られない中立した領域であること、平等主義であること、常連・会員がいて新参者にも優しいなど、オルデンバーグによって8つの定義がなされています。ただ、現在では、発展的にいろいろな解釈が生まれています。

 例えば、近年、カフェをサードプレイスと位置づける考え方がある一方で、リラックスしていたとしても、一人で過ごす場所が本当にサードプレイスなのか、という異論もあります。私自身は、あまり窮屈に考えずに、カフェも「マイプレイス」的なサードプレイスと考えてもいいのではないかと考えていますが。

 日本には昔から、地縁、共同体といった、場所がありました。そういった場所はつながりという意味でもちろん重要ですが、上下関係や固定された人間関係を背負っての付き合いはちょっと息苦しい。私が考えるサードプレイスとは、メンバーの上下関係がないフラットな集まりで、メンバー同士が刺激し合える、新しい発想が湧く場所です。出入り自由な「大人の部活」といったイメージでしょうか。

―― 実態としては古くからあるサードプレイスが、なぜ近年、脚光を浴びているのでしょうか。