化粧品ビジネス、コスメを仕事にした経営者・社長に『etRouge』編集長・麻生 綾がインタビュー。今回はパリで生まれ、東京で一番多感な時期を過ごしたというLVMHフレグランスブランズ株式会社 代表取締役社長・ジュリーコアン・オリヴィエさん。
「外見フランス人、中身は日本人」。
3カ国で暮らした子ども時代に養われたグローバル感覚。
麻生(以下A)ご出身はフランスですが、子どもの頃、日本で生活されていた時期があったとか?
ジュリーさん(以下敬称略)はい。パリで生まれ、1〜8歳までロンドン、9〜13歳までパリ、13〜18歳は日本。千代田区にあったフレンチスクールに通っていました。
Aどんな女の子でしたか?
ジュリー父は明るく社交的なフランス人、母はシビアで規律を重んじるドイツ系スイス人。子どもの頃は父似、今は母に近いかも。3人姉妹の真ん中で、長女はしっかり者、末っ子は甘えん坊。私は自由にのびのびと成長しました。
A多感な時期をパリ、ロンドン、東京で暮らしたことで、人格形成に影響があったのでは?
ジュリーありますね。いろいろな国やさまざまな宗教観を見てきて、他民族、他文化との交流が苦になりません。世界に育てられたようなもの。どんな環境にいても快適に暮らせます。
A小さい頃の夢は?
ジュリーブロードウェイでタップダンサーになること。今でもシューズを持っているんですよ。
A素敵! 今度ご披露を(笑)。10代に感じた日本の印象は?
ジュリー信じられないほど安全な国で、だからこそ自由度が高くオープンだと感じました。そしてハッピーで情緒的。家族も日本になじんでいて、第二の故郷のような場所でした。
A日本人の友達はいました?
ジュリーフレンチスクールは、100%フランス人と日仏ハーフのグループに分かれるのですが、私はハーフのグループに入っていて、友達を通して日本の文化にも親しんでいました。