化粧品の作り手として、また売り手として、一人でも多くの女性にその魅力を伝えたいと心血を注ぐ愛すべき経営者たち。原点にある情熱、面白さと難しさ、思い描くビジョンまで、『etRouge』編集長の麻生綾が、思いつくままにインタビュー。今回は、シャネルの会長でありながら才気煥発な文化人として活動の場を広げる、日本人以上に日本愛の強いリシャール・コラスさんを直撃。

18歳のときの一人旅で、日本の人と文化に恋をした。

麻生(以下A)私はコラスさんをよく存じ上げているのですが、人生の半分以上を日本で過ごされ、心はほぼ日本人……。日本にいらした、そもそものきっかけは何だったのでしょう?

コラスさん(以下敬称略)実は日本じゃなくて、ブラジルだったかもしれないんですよ。僕が高校生のとき、エールフランスのパイロットだった父に、夏休みにアマゾンの密林でインディアンと共に生活する父の友人のところへ行ってみないか? と提案されまして。当時は、ブラジルは到着までに約2週間かかる、果てしなく遠い国。怖いもの知らずの18歳だから、僕自身は人生の冒険だ! とワクワクだったんです。が、心配性の母が猛反対。

愛されていたんですね……というか、高校生を一人、アマゾンに送り出すっていうのは(笑)。

コラス僕もマザコンでしたから(笑)、行かないことにしました。でも、大学に入る前に世界を見てきたほうがいいという考えの父が、それなら日本は? 伝統があり、文化、文明を守る素晴らしい国だよ、と。写真が趣味だった僕は、じゃあニコンを買いに行くよ! と二つ返事をしたわけです。

なんと、父上のリコメンドだったとは。そしてカメラが後押しですか(笑)。

コラスただの観光ではなく、日本の文化に触れたかったので、パリの旅行会社に「ホームステイをしたい」と相談したんですが、ありえないと断られまして。

外国人を家に泊めることに、まだまだ抵抗があった時代かもしれません。

コラス結局、父が日本人のキャビンアテンダントに頼み、東京でのホームステイが叶いました。そのときお世話になった家族は、ほんと、第二の両親、兄弟です。滞在中は、とにかくたくさん楽しませてもらいました。日本のイメージは? と訊かれ、お風呂と富士山と桜とゲイシャと答えたら、週末にヒノキのお風呂から富士山が見える旅館に連れて行ってくれたり、またあるときは、朝9時に迎えの車が来て、サプライズで大田区にあったニコンの工場見学をさせてもらったり。

東京以外の、地方にはいらっしゃいました?

コラスあちこちを旅しました。ユースホステルに泊まろうと思っていたんですが、行く先々で、うちにおいでと声をかけてもらい、神戸や瀬戸内海の島、奈良でもホームステイを。結局50日間で一度もホテルや民宿に泊まることがなかったんですよ。

わあ。18歳のコラスさんは、きっとものすごく可愛い少年だったのでは?

コラス可愛い? そうかもしれない(笑)。とにかく僕は、この旅で日本のカルチャーに触れ、日本人に恋しました。国も美しいけれど、こんなに素晴らしい民族はいない。もっと知りたいなあ、と。

それで、大学で東洋語を学ぶことにしたんですね。でも、遠い国に一人で行くことに抵抗はなかったのでしょうか?

コラス僕は南フランスで生まれて、6歳までパリで暮らし、7歳からの10年間はモロッコに。そのとき、自分の国の文化に、他の国の文化を取り入れる生活がとても面白いと感じたんです。

モロッコはいかがでした?

コラスモロッコ人はオープンで温かい。でもパリに戻ったら、人が優しくないし街も暗い。ノットウェルカムな空気を感じました。

そんなときに日本と出会って一気に気持ちが……。

コラス初恋です。大学に入っても休みのたびに日本を訪れました。お父さんの飛行機に乗って(笑)。