化粧品の作り手として、また売り手として一人でも多くの女性にその魅力を伝えたいと情熱を注ぐ愛すべき経営者たち。原点にある思い、面白さと難しさ、紆余曲折から思い描くビジョンまで、『etRouge』編集長の麻生綾が思いつくままにインタビューする。今回は、新しい世代を中心に人気を再燃させたイプサの社長、小田淳さんを直撃。強いブランド愛のベースにあるのは──。

日本のミニマルな美意識を世界に発信したい。

麻生(以下A):ご出身は?

小田さん(以下敬称略):横浜の青葉台です。

A:横浜というか、ほぼ東京の住宅地ですね。そこで青春を謳歌?

小田:いや、航空会社に勤務していた父が海外赴任になり、小学校5年から家族4人でイギリスに。

A:帰国子女なんですね。

小田:〝なんちゃって〞です。立教の日本人学校の寄宿舎にいたので、周りはみな日本人。日本の社会が凝縮されたような環境だったので、むしろ日本人らしい日本人ではないかと思っています。イギリスだけどイギリスじゃない。でも日本でもない。要するに僕には故郷がない。10代だったし、その感覚やその頃の生活は、人格形成にも影響しているかもしれません。

A:大学は日本。そのまま英国で、とはお考えにならなかった?

小田:きれいにいうと「日本の教育をまっとうしたい」と。で、一人で日本に戻ったんですが、寄宿舎生活は常に周りに人がいたので、一人が寂しくて寂しくて(笑)。

A:多感な時期を海外で過ごすと、ナショナリズムが強くなるか、その真逆か。どちらか極端に傾く人が多い気がするのですが?

小田:よく聞かれることもあって「日本って、日本人ってなんなんだろう?」とは考えていました。当時の日本はバブル期で、テクノロジーオリエンテッドと賞賛されていたけれど、はたしてそれが日本らしさ? という疑問が常に。そうじゃなくて、自然との共生だったり、ミニマルな禅の世界観だったり、日本人のメンタリズムのベースを伝えたいと漠然と思っていたんです。実はそこが資生堂とつながるんですけど。

A:運命的な出会いがあった?

小田:大学生のとき、セルジュ・ルタンスを起用した資生堂のビジュアルを見て、あっと思ったんです。和と西洋の見事なハイブリッドで、日本って何? に対する答えのようなものをそこに感じました。

A:前衛的だけど日本的な美意識がある。当時も資生堂のビジュアルはモダンで美しかったですよね。

小田:文化的な先端を見ました。それともう一つ。80近かった僕の祖母が、資生堂の石けんや粉白を嬉しそうに使っているのを見て、人の一生に寄り添う製品を提供する素敵な会社だな、と思い。

A:化粧品会社というより、資生堂で働きたい、と?

小田:そうですね。資生堂が提案する日本の文化的美しさに共感し、それを海外に発信したい、と志望しました。

A:海外と関われる仕事はほかにもありそうですが……?

小田:商社や電機メーカーからも内定をもらっていたんです。でも資生堂に可能性を感じたし、ビジョンも見えていたから。

A:思いが通じて入社。その後?

小田:静岡で営業です(笑)。

A:(笑)まずは現場を知る、と。

小田:3年目に、ジョブチャレンジ制度に応募して、タイの研修に行きました。

A:少しずつ希望に近づいていますね(笑)。でも、なぜタイに?

小田:これからはアジアだよね、ということと、英語以外の言語を学んだほうがいいという理由です。研修は1年で終わったんですが、帰国の前日に「次の職場はイプサです」と連絡が来まして。えっ、海外じゃないんだ……と半分モヤモヤしながら帰国しました。