化粧品の作り手として、また売り手として、一人でも多くの女性にその魅力を伝えたいと心血を注ぐ愛すべき経営者たち。原点にある情熱、面白さと難しさ、紆余曲折から思い描くビジョンまで、『etRouge』編集長の麻生綾が、思いつくままにインタビュー。今回は、大胆な攻めの姿勢で新たな価値を追求するポーラの若き社長、横手喜一さんを直撃。快進撃を根底で支える理念、顧客に届けたい思いとは──。
自分の言葉で仕事を語るポーラレディに惚れ惚れ。
麻生(以下A):ご出身は東京とのこと。どちらですか?
横手さん(以下敬称略):大田区の大森です。実家は商店街で小さな個人商店を営んでいました。
A:どんな子ども時代でした?
横手:典型的な下町のガキんちょで、高校までは落ち着きがなくていつもうるさくてふざけてばかり。本当によく叱られました。
A:高校ではいかがでしたか?
横手:ちょうどバブル期で。たまたま港区、千代田区、品川区、大田区にまたがる学区だったので、お金持ちでブイブイいわせている子がいっぱいいて。そのお祭り騒ぎ的なノリに醒さめてましたね。
A:イケイケの子たちを横目に黙々と勉学に励んだとか?
横手:それもなかった(笑)。予備校通いも高校3年からだったし。メインのカルチャーとは違うところにいるのが居心地よかったんですよね。六本木や渋谷の輸入レコード屋に入り浸ってました。
A:一橋大学を選んだ理由は?
横手:深く考えず、呑気そうな学部がありそうな学校だったから。
A:(笑)どうやらキラキラしたキャンパスライフではなさそう。
横手:キラキラとは無縁でしたね。普段着で入学式に行き、卒業式も出てないくらい。キャンパスマガジンを作るサークルに所属し、その仲間とつるんでビリヤードをやったり、合宿と称して旅行に行ったり、申し訳ないくらいまったく勉強しない4年間でした。
A:一緒です。思い返すとまるで生産性のない学生でした、私も。
横手:そんなだから就活も真面目にやらず、どこかで何とかなるよ、と思っていたわけです。
A:さすがバブル期(笑)。でもポーラに入社されました。なぜ?
横手:当時、難解な哲学的テーマをセンスよく語るカルチャーブームがありまして、その流れで本屋でたまたま『is』という面白い雑誌を見つけたんです。それを出版していたのが、ポーラ文化研究所。広告に頼らず好きな研究ができそうで、しかも銀座に自社ビルがある。よく知らないけど楽しそうだぞ、と電話をしてみたら、若干名だけど新卒も採用すると聞きまして。さっそく履歴書を送り、面接後に内定をもらいました。
A:化粧品の会社と知らずに?
横手:ええ、まったく。ところが内定者の懇親会に行ったら、文化研究所枠で採用されたのは2人だけ。それ以外は全員本業の化粧品で100人くらい。こんなに大きい会社だったんだ、と驚きました。
A:むしろ、知らなかった横手さんにびっくりですけど(笑)。
横手:入社後さっそく化粧品関連の研修が始まったのですが、どうせ5月からは文化研究所、と思っていたので、ダベりまくりのやる気ゼロ。一番高い香水を嗅いで“くっせー”なんて言って怒られたり。今は反省しています(笑)。