化粧品の作り手として、また売り手として一人でも多くの女性にその魅力を伝えたいと心血を注ぐ愛すべき経営者たち。原点にある情熱、面白さと難しさ、紆余曲折から思い描くビジョンまで、『etRouge』編集長の麻生綾が思いつくままにインタビュー。今回は、南仏の温泉水コスメアベンヌでおなじみ、ピエール ファーブル ジャポンのダンディな体育会系社長、牧野美則さんを直撃した。
ライフスタイルを提案する男性用化粧品のCMに反応。
麻生(以下A):サッカーで有名な静岡県清水市のご出身だそうで。
牧野さん(以下敬称略):小学校の低学年までソフトボール、4年から中学は、熱血サッカー少年でした。僕もそうでしたが、学校の行き帰りにボールを網に入れてリフティングしながら歩く小学生は、清水の風物詩的な光景でした。
A:高校ではサッカーを続けなかったのですか?
牧野:清水東というサッカーの強豪校に入ってしまいまして。レベルが高すぎたので、諦めてテニス部に。テニスも大学までかなり本気で取り組みました。
A:運動神経が抜群でスポーツ万能。モテないわけないですよね。
牧野:いやいや……たまに下駄箱にポツンポツンと。でも人見知りで、女子に苦手意識もあったし。
A:硬派な体育会系だったんですね。女の子にデレデレしないのが美徳で格好いい、みたいな。リーダーやキャプテンを引き受けることも多かったのでは?
牧野:目立つのは嫌いだったんです。でも、学級委員をやったり、級友に推されて中学1年なのに生徒会長に立候補したり。おそらく背が高く足が速かったからでしょう。
A:それだけの理由でリーダーになれるのは小学生までです(笑)。大学はサークル? 体育会?
牧野:300人くらいメンバーがいる、同好会以上の準体育会でした。大会で勝つために練習も真剣にやっていたし、アルバイトでもテニスのコーチ。年間300日はラケットを握る4年間でした。
A:そんな硬派な男子学生が就活で化粧品会社。意外な気が。
牧野:生活になじみのある身近なものをつくる仕事をと、飲料や食品メーカー、商社も受けましたが、第一志望は資生堂。当時流れていた男性化粧品のCMを見て、衝撃を受けて。単なる商品の宣伝ではなく、新しいライフスタイルを提案された気がしたんです。
A:入社していかがでした?
牧野:思った通りというか、想像以上というか。文化やアート、ファッション性、先進性などが会社全体を覆っている雰囲気や色気を感じ、地方から上京した学生にも響きました。その当時、日本の企業はテクノロジーを武器に世界に名前を売っていったのですが、機能だけじゃなく、文化やセンスでも勝負していたのが資生堂。そこに魅力を感じ、誇りも持てました。
A:私は常々、モノには愛と哲学とストーリーが揃っていないと人の心を動かせない、と思っているのですが、資生堂にはそれがある。
牧野:細かい話ですが、商品を手に持ったときに感じる〝触り心地〞への徹底したこだわりなど、ここまで感性的なモノづくりができる会社は、日本にはなかなかないと思います。そんな価値観があちこちに散らばっていて感動しました。
A:資生堂に入って、やりたかったことは?
牧野:格好いい男性化粧品を、コンセプトからパッケージまで関わってつくりたい、と。でも新人がそんな部署で働けるわけもなく。最初は東京のデパート営業部門に配属されて6年。その後11年、デパート部でデパート戦略に関わるすべてのことを担当しました。