化粧品ビジネス、コスメを仕事にした経営者・社⻑に『etRouge』編集⻑・麻生 綾がインタビュー。今回は製品づくりにおいて「誰もやっていない、世の中にないものを」を信条とする、株式会社たかくら新産業代表取締役・高倉 健さん。

「死ぬのかな? でもこのまま死ぬのは嫌だ。元気になったら初心に戻ってやりたいことだけをやろう」

中学受験に失敗。高倉家の道からはずれ(?)ドロップアウト。

麻生(以下A)まず幼い頃のお話から。どんな子どもでした?

高倉さん(以下敬称略)やんちゃでしたねえ。

Aご兄弟は?

高倉姉と妹が一人ずつ。祖父も父も親戚も皆、同じ私立中学に進んだのですが、僕はまったく勉強しないで受験に臨み、失敗しちゃったんです。高倉家の中では落ちこぼれのレッテルを貼られてしまいました。一族が揃う旅行もおまえは参加しなくていい、と。

Aえーっ!?一番多感な時期にそれはつらい。で、公立の中学に?

高倉はい。そこから道を踏み外してしまい、中学の時は、ものすごいヤンキーでした(笑)。

A立ち直りのきっかけは?

高倉中学が途中で分校になり、仲よしの不良たちが皆、別の学校に。一人になって、いつまでもこんなことしてたらあかんな、と。

A人格形成に影響しませんでしたか?

高倉当時は家族に愛されてないと思っていたので、守ってくれる仲間とそうでない人を分けるようになりました。

Aヤンキーを卒業してからは?

高倉高校ではバスケットボールと同時にドラムを。大学の4年間もバンド活動に精を出し……。

A素敵ですねえ。そのままプロになろうとは?

高倉考えましたよ。でもその道に進んだ先輩から、「プロにだけはなるな」と散々言われ、4年生になった途端に「俺、就活するから」と宣言しました。