ある時は古典を教える寺子屋のお師匠さん。ある時は米国公認ロルファー。またある時は、劇団の座長。さらには3DCGの本を書き、VRを研究と、恐るべき“サードプレイス”を持つ摩訶(まか)不思議な能楽師、安田登さん。自分がそそられる世界を見つけては、自由自在にホッピングし続ける安田式サードプレイス道には、迷える私たちがハラ落ちする珠玉のヒントがありました。今回は、大人が自分の天命を知るにはどうしたらいいのか教わります。

得意なこと、得意なやり方が「正解」

 前回の記事「サードプレイスが見つからない人へ 『三流』の道を進め」では、サードプレイスは一つじゃなくてもろもろ(たくさん)求めていいのだ、ということをお伝えしました。もう一つ僕が提案したいことがあります。

 それは「切磋琢磨(せっさたくま)」です。この言葉、仲間が競い合いながら高め合うという意味でよく使われますが、本当の意味は少し違います。

 「切」「磋」「琢」「磨」は、ある原石に付加価値をつけるために加工を施すさまざまな行為をいいます。石は切る。玉は琢(みが)く。人には、それぞれ合った磨き方があるということです。ダイヤモンドを磨くもので真珠を磨いたら、傷がついてしまいますよね? それと同じで、自分にあった磨き方を見つけることが大事、それが切磋琢磨です。そして、そのためには自分が得意なやり方、得意そうなことから始めるんです。

能楽師の安田登さん。古典を教えたり、劇団の座長だったり、VRを研究したり、もろもろの“サードプレイス”を持つ
能楽師の安田登さん。古典を教えたり、劇団の座長だったり、VRを研究したり、もろもろの“サードプレイス”を持つ

 『論語』で知られる孔子には、子貢(しこう)という弟子がいました。子貢は、『史記(司馬遷)』のお金持ち列伝(「貨殖列伝」)に名前が入っているほどの超お金持ち。

 一方、顔淵(がんえん)という非常に優れた孔子の弟子は、清貧のかがみのような人物でした。子貢は、そんな顔淵に対してコンプレックスを感じます。孔子の弟子たるもの、顔淵のように清貧でなきゃいけないのに、オレったらお金持ち。師に嫌われちゃう! と。

 そんなある時、孔子が「君は君なりのスタイルで、好んだり楽しんだりしたらいいんじゃない? そのほうが発見があると師は思うよ!」と言うんです。お金持ちにはお金持ちとしての道があると。

 子貢は「ああ……!」とくずおれんばかりに胸うたれ、納得する。

 その時、孔子が子貢に伝えた言葉が、「切磋琢磨」です。それぞれ得意なやり方で自分を磨くことが正解と、孔子は子貢に伝えたかったんです。