男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに生まれる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。

女性学へのリアクションとして男性学が生まれた

 はじめまして。男性学を研究する田中俊之と申します。「男性学」といってもご存じない方が多いと思いますが、男性が男性だから抱える悩みや葛藤、例えば働き過ぎや自殺、過労死などをテーマにしています。

 僕が生まれた1970年代は専業主婦が最も多かった時代です。性別役割分業が考え方としても、実態としても確立していた時代。その70年代に生まれるべくして生まれたのが女性学です。それから遅れること十数年、女性学に賛同する男性たちの中で、男性自身が抱える課題にも目が向けられるようになり、男性学が発祥しました。

 僕が男性学を研究するようになったきっかけは大学のとき、4年生が一斉に髪を黒くして就活に励む姿を見たことです。常識が常識として成立する理由を考えるのが社会学なのですが、みんなが一斉に「常識」に突進していく。その姿を見てゾッとしました。なぜ、卒業したらスーツを着てサラリーマンになることが当たり前として受けとめられているのか。

 もともと日本は第1次産業が中心で、2世代くらい前は多くの人が職住接近の暮らしをしていました。それが高度経済成長期、第2次、第3次産業に移行する中で職住分離が起こり、働く人と家のことをする人に分かれた。結婚して子どもを持ち、男性は大黒柱として働き、女性は家を守るという生活。それからまだ何十年もたってないのに、猛スピードで普及し、常識として浸透した。それはなぜなのか、解明したいと思ったんです。

なぜ就職氷河期は見過ごされたのか

 僕が大学を卒業した90年代はまさに就職氷河期(1993年~2005年)でした。当時の議論を振り返ると、景気が悪いのは一時的で、景気が回復すれば就職できるという楽観論が取られ、学生への支援は打ち出されませんでした。その後の停滞はご存じの通り。僕たちはロストジェネレーション世代と呼ばれるようになりました。

デジタルスキルを縦横無尽に操るZ世代、定年後も人生を謳歌するパワフルな団塊世代と比べ、生きづらさを感じるロスジェネ世代
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 企業が若手の採用を抑える一方で、1994年、高年齢者雇用安定法が改正され、定年が60歳へと引き上げられました。大黒柱の父親が職を失うと一家全員が路頭に迷って社会が混乱するけれど、若者が失業してもすぐにはダメージがない。家族が父親の収入に依存しているのでクビにできない分、影響の少ない若者にしわ寄せがいったのです。