男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに生まれる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。今回は「父親という存在」問題です。

「理想の父親像」がない状態が続いている

 戦後の日本社会ではずっと「父親不在」といわれています。これは60年代、70年代もキーワードになってきた。かつては暴走族などが多く、これは父親不在だから子どもが荒れると言われました。69年には石原慎太郎の著書『スパルタ教育』がベストセラーになりましたが、子どもは殴って教えるべし、という封建的・男尊女卑的な教育論が展開されていて、今読むと驚きます。

 僕も子どもの頃、父親と遊んだ記憶はほとんどありません。父は水曜が定休日だったので、一緒にどこかへ行ったことも数えるほどしかない。父親が嫌いだから男性学をやっているのかと聞かれることもありますが、接点がないので、嫌いという強い感情もありません。

 「父親とはどういう存在か」、その答えを誰も持たない状態が続いています。女性は今でも「母性」が期待され、キャラ弁を作らされたり、時短勤務を選ばざるを得なかったりしていますが、一方で父親像はあいまいなまま。「殴ったほうがいい」とか、「背中で社会を教えろ」といった説が周期的に浮上します。

 最近は「イクメン」という言葉がはやっていますが、それはさほど新しい言葉ではなく、以前から「マイホームパパ」という同義の言葉がありました。だから言葉ができたからといって、実態はそれほど変わらない。イクメンという言葉がはやったからといって、父親が子育てするようになったわけではないのです。

 ではなぜ、父親は育児に取り組めないのか。女性がそうであるように、男性にもダブルバインド(2つの矛盾したメッセージに挟まれた状態)があります。「男はもっと育児しろ」と声を掛けながら、「大黒柱だろ」という、言葉にされないメタメッセージがある。女性が「もっと社会で活躍しよう」、でも「子育てはしてね」といわれるのと同じですよね。育児の当事者としては頭がおかしくなりそうです。

「イクメン」と呼ばれることにモヤモヤする男性が多いのは、イメージと実態がかけ離れているから?
「イクメン」と呼ばれることにモヤモヤする男性が多いのは、イメージと実態がかけ離れているから?

 だから「女性活躍」とか「イクメン」とかを真に受けてはダメな気がします。「イクメン」という言葉だけが独り歩きして、子育て中の家族は置き去りにされています。