男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに生まれる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。今回は、「働き過ぎ」問題です。

 「働かないおじさん」が話題になる一方で、「働き過ぎなおじさん」もいます。1980年代から中高年男性の働き過ぎはずっと社会問題になってきました。その最たるものが過労死です。日本で初めて「過労死110番」が開設されたのは88年。それから30年以上たった今もなお、長時間労働はなかなか減りません。

 働き方改革が叫ばれ、国も企業も課題感を持っているかのように見えますが、30代、40代の男性の労働時間は依然として長い傾向にあります。90年代以降、収入が良く安定しているとされている正規雇用と、賃金や雇用期間が抑えられる非正規雇用とに仕事が切り分けられていったことで、コアな仕事を担う正規雇用の人たちは仕事量が増えていったことも背景にあります。

週60時間以上働いている人は減ってきているものの、全体の平均に比べ30代、40代男性は高い傾向にある(出典:男女共同参画白書 令和2年度版)
週60時間以上働いている人は減ってきているものの、全体の平均に比べ30代、40代男性は高い傾向にある(出典:男女共同参画白書 令和2年度版)

おじさんが疲れていても同情されない

 過労死まではいかなくても、メンタルを病んで職場を去っていった人は僕の周りにも何人かいました。去っていった当人には大ごとだけど、組織からしたら代わりの人を投入するだけ。「そういう人もいたよね」と言われるだけで、仕事は粛々と進んでいきます。本人が受けるダメージほど、組織はダメージを受けません。

 これだけ長い期間、社会課題として指摘されているのに改善しない。それは、「中高年男性の働き過ぎ」が、当事者も含め多くの人にとって問題だと認識されてないからではないでしょうか。なぜかと言えば、「中高年は働き盛り」と捉えられているから。おじさんって、そもそも仕事ばっかりして疲れているもの……と思われている。1日8時間、週40時間は「最低限」の労働で、残業するのは当たり前。そのこと自体が問題とは感じていないと思います。

 『わたし、定時で帰ります。』(朱野帰子著)という小説が話題になり、ドラマにもなりましたが、主人公が40代男性だったら「無責任」「働かないおじさん」と、さまざまなレッテルが貼られてしまう気がします。日々、過労死のニュースを目にしますが、これが入社25年目の男性だったら、世間はあまり驚かないのではないでしょうか。

 国も組織も助けてくれない。だから「働き過ぎ」の問題は、「自分は働き過ぎなんじゃないか」と当人が考えてセーブすること以外、今すぐできる解決案がないと思います。自分や家族がブレーキをかけてあげなければいけない問題です。でも、働き過ぎを改善できない要因の一つは、当の男性自身の内面にもあるのです。