男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに感じる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。今回は、「働かないおじさん」問題です。

必要とされていない場所に通い続けるつらさ

 どこの企業にも高い給料をもらいながら、それに見合うパフォーマンスが出せないミドルシニア層がいます。ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)は海外の映画などでもよく取り上げられるテーマですが、結婚して子どももいて、それなりに出世もしたけれど、「自分の人生はこれで良かったのか」と、不安や葛藤を抱えること。これは贅沢(ぜいたく)な悩みのように感じますが、「贅沢な悩み」とは危険な言葉でもあり、経済的に恵まれている人は問題がないかのように見えてしまう。

 経済的に豊かであってもなお、当人が「幸せ」を感じられないとすれば、格差を是正するだけでは誰にとっても「生きやすい社会」にはならない可能性があるわけです。「贅沢な悩み」と切り捨ててしまうと、現代社会のあり方を見直すことができなくなってしまいます。

 さて、「働かないおじさん」と一口にいっても、さまざまな人がいます。中には本当に働く気がない人もいますが、働きたくても活躍の場がない人もいる。必要とされていないのに会社に行かなくてはいけないのもつらいものです。プロ野球選手が5年間の高額契約をしておきながら故障で実績を出せなくなったとき、非難する人がいますが、期待されたパフォーマンスが出せない側にも苦しみがあります。

 ひとくくりにして「働かないおじさん」と安易なレッテル貼りをする前に、どうしてそうなったのか。その時代的背景と構造を考察してみる必要があると思います。

「あの頃は良かった」と思い出を語るバブル世代

 特にやり玉に挙がるのが1980年代後半から90年代にかけて大量採用されたバブル世代。ボリュームゾーンでもあり、「大して仕事もしないのに高い給料をもらっている」と批判の対象になりがちです。僕もバブル世代の人に興味があり、よく話を聞きますが、「あの頃は良かった」と楽しそうに語る人が多い。

 彼らが若手だったバブル時代は社会全体の景気が良く、競争して勝つことで得られる経済的なリターンも大きかった。誰でもボーナスがたくさん出れば機嫌も良くなりますよね。バブル期はお金で価値が測りやすい時代でした。年収500万円の男より、年収1000万円のほうが2倍偉い。それはとても分かりやすい構図です。