仕事で、人間関係で、心身の健康で、家族のことで……。大きな危機や失敗に直面することは、長い人生において誰にも避けられません。そんなときにどう対処し、乗り越えて次につなげたのか。13人のケースから、勇気やヒントが得られるはずです。

心や体が悲鳴を上げていた

 仕事が忙しすぎて周囲の人に余裕のなさを指摘されたり、病院で病名を告げられたり……。心身の不調に表れたサインをつかんで、働き方を見直した人たちがいます。

最初は怠け者だから起き上がれないのかなと思っていたのですが、料理が好きで、料理することが仕事の息抜きや生活の張りになっていたのに、その料理ができない。トイレに行くことすら、頑張らないとスッと立って行かれない。なんで、どうしてできないんだろうともがいているうちに、ついにゴミを捨てに行けなくなって……。いよいよおかしい、これは病気かもしれない。うつってこういう感じなのかなと思ったのです。


大宮エリー(画家、作家、脚本家、演出家、映像ディレクター)

大宮エリー 「ゴミが出せない」気づいたらうつだった


リーマン・ショックでリストラの嵐が吹き荒れ、育休中に4人も上司が変わりました。復帰後の職場は以前と違い、殺伐としていました。(中略) 終業後も家で仕事をするようになり、保育園の先生からは「ゆとりがなくてお子さんにも影響がでていますよ」と言われる始末。この頃、2人目を流産してしまったこともあり、私の中で仕事観が大きく変わっていきました。


矢上清乃(学び舎mom 代表取締役)

ママ仲間に救われたワンオペ育児 キャリア支援で起業


私は母と過ごす時間を増やすために仕事を辞めたのに、父と母は実家に帰ってしまって。自分の収入も社会的立場もなくなり、暗い気持ちにさいなまれました。


加倉井さおり(ウェルネスライフサポート研究所 代表取締役)

難病の母と育児のダブルケア 介護離職から思わぬ起業へ


(実家のある)甲府に戻ったのは療養のためで、そのときは自分が起業するとは全く思っていませんでした。バセドー病にかかり、30歳から7年間、療養していて、ひどいときは体重が38kgまで落ちたこともありました。30代後半になり、やっと回復してきたので仕事を始めたんです。外国人を対象にした派遣会社に営業として入ったのですが、これまでの職場とのギャップに衝撃を受けました。コンプライアンスの精神がなくて、有休もないし、登録スタッフの時給も額面通り支払わない。送迎や通訳などの費用も登録スタッフの自己負担でした。


渡辺郁(アンサーノックス 代表取締役)

起業2年目 取引先倒産にひざを抱えた日が思わぬ転機に